デヴィッド・ホーキンズ博士の教え紹介(一部)のブログ

スピリチュアルの技術を駆使して人生を改善してきた著者が、その理論と技術を公開。

博士の本は、日本語に訳したものを期待するよりも…

このブログでは再三「ホーキンズ博士の【原書】を読みましょう」と呼び掛けております。

 

理由は、そのほうが、癒しのエネルギーを手っ取り早く受け取れるからです。

 

日本語に訳したものを読むのも、また情報商材等に頼るのも、やらないよりはマシですが、物心ついたときから周囲からの(家族含む)心無い接し方にエネルギーを削り取られ、何度か死の寸前まで追い詰められたこと(両親からも、です)すらある筆者に言わせれば、原書を開いて読むことから得られるものには到底かなわないということです。

 

なお、筆者は、博士の本を「正確に」日本語に訳すのはまず無理、とみています。

 

たとえば、Spiritual という単語をどう訳すのか、という問題があります。これは非常に大きな問題でして、魂としての自分、という意味も含めて一番近い言葉としてこのブログでは「霊的」あるいはそのまま「スピリチュアル」と訳しています。

ですが、霊的とかスピリチュアルとか聞いて、一般の人が何を思い浮かべるかといいますと、「霊が見える」の霊=お化け とか、何かの超能力とか、あるいはタロットや星占いなどを連想されるのではないかと思われます。

また、「精神」と訳せばよいのでは? と思われそうですが、この単語もまた、現代の日本で使われている意味は「メンタル」が主流といえます。最近使われる精神という意味に、厳粛なイメージを感じますか? 

確かに、mindの意味は、「メンタル」でいいかもしれない、とは思いますが。(とはいえ確定ではありません)

もしかすると、「心」と訳したほうが本当はしっくりくるのかもしれません。奇跡のコースでは「心しかない」という言い方をします。本当に取り組むべきは「心」なのだ、ということです。

ただ、原書を見た時、「ん? 心? Heartって、どこに書いてある?」と、筆者本人が混乱する可能性があるのと(笑)、ハートの道・ノーマインドの道 というように、ちょっとまた別の意味で博士がすでにこの単語を使ってしまっていることもあり、この単語は使用を控えています。

 

そもそも、日本は、古来より神道があったとはいえ、今では魂のレベルも話にならないなと、筆者もさすがにそう思わざるを得ません…

 

要は、博士の本を正確に表現できる日本語が存在しない、もっと言えばそこまで日本語という言語を主に扱う日本人の質が上がっていないのだということです。いや、英英辞典などを使って、博士が言わんとしたことをさらに読み込んで表現しようとすることを悪いとは言いませんが、逆に凝りすぎて意味の通らない日本語になってしまっているケースも散見されます。

 

それでは、日本語が、そこに追いつくまで待つか? というのも、どうかと思います。そんなことで手をこまねいているうちに、自分の寿命が来てしまうのかもしれないのです。

 

ということで、博士の教えを一刻も早く日常生活に取り入れて結果も早く出したいというのであれば、日本語訳を待たないで原書を読むことをお勧めします。

ただ、英語の文法が全く分からない方の場合、その辺の勉強はする必要があるかもしれません。(グーグル翻訳を使うにしても、一部誤りを自分で手動で修正する必要があるためです)

筆者は、「博士の本の訳者となることで自分の名誉を高める、あるいは金儲けの道具にする」つもりがない以上、逆に英語を勉強し直して、博士の教えを受けて「変わった」人たちの考え方、軌跡も含めて自分のスピリチュアルな糧にするのだという気持ちを新たにしています。

…訳のご紹介をやめちゃったのにはそういう理由もあるのです。日本語訳にこだわっていると、逆に学びが遅くなってしまうためです。楽しみにしてくださっている方々にはごめんなさい。

 

余談ですが、「わたし 真実と主観性」に「ナイーブ」という言葉がよく出てきますが、これは「無知」に置き換えて読んでみると意味がよく通るはずです。

「教え魔」をスピリチュアルに考察する!?

筆者は最近知ったのですが、「教え魔」なる言葉が存在するそうですね。

ゴルフ、ボウリング、テニスなどなど、その道を究めている方が、頼まれもしないのにその道のビギナーにあれこれと教えようとする人のこと、ということでした。

スポーツに限らず、いますね…(笑)ネットの世界でもそうですし。

頼んでもいないのに、わかったようにしてSNSにわざわざコメントをしていくのも、一種の教え魔と言ってもいいかもしれません。

 

教え魔となる心理として「親切心」を挙げた人の記事を読みましたが、ほかにもいえる教え魔の奥底の心理は、「(すごい人として)認められたい」「自分の能力をひけらかしたい」「この機会に自分を心の底から慕ってくれる人がほしい」あるいは「価値観を分かち合いたい」(=仲間が欲しい)というものです。

これがさらにこじれると、自分は誰よりもこの分野で実力があるだの自分は神だ的な言動にすら発展することもあります。

これらいずれも、意識レベル200未満に属するものとなります。

 

 

なぜこのブログでわざわざ教え魔のことを取り上げたかといいますと、この手のエゴは「霊的エゴ」(Spiritual Ego)の一種でして、「自分は知っているんだ! どうだすごいだろう!」という気持ちと、それに呼応するように「それをお前らも認めろ! ほら、認めろ! (てか…承認を通じて…俺に愛をくれぇぇぇぇl!!!)」という気持ちが奥底にあるから、頼まれもしないのに他者に対してアクションをとるという行動に出ることになります。

愛を求めて泣き叫ぶレベルであればまだ救いようもあるのですが、霊的エゴの増大が度を過ぎるとどうなるかといいますと、いわゆる低次元アストラルのレベルとなります。

これは、ホーキンズ博士の「わたし 真実と主観性」にも詳しく書いてありますので、お持ちの方は今一度読んでみてください。特に、「堕ちたグル」関係の文脈は非常に役に立ちます。あれは何も特別な人物だけがその状態に陥るのではなく、誰でもああなる可能性はあるのだということです。

 

あとは、本当に親切心からのもので、「この人に教えてあげることで、自分も徳積みになる」と本気で信じ込んでいるというケースもあります。

「他人に親切にしてあげなさい、自分ができることを他人にしてあげなさい」という教育を子供のころから受けてきた方に多く見られるかもしれません。

これは、親切の内容を取り違えているだけなのですが。人はその意識レベルの中で常に最大の努力を行い(信じられないと思われそうですが、怠けているように見えるのも結果が出せないこともまた、最大の努力なのです)、そこで得られたものをアカシックレコードに送り込んであの世へ戻っていくわけです。これが「人間として生まれてきたスピリチュアルな目的」でもあります。地球上の人物が全員同一の意識レベル、同一の知識技量だったら何の勉強にもなりませんので。だから、いち人間ごときが、他者の学びにむやみやたらに首を突っ込まない、のが本当の親切といえます。

筆者はかつてこの意味を全く分からず(これもまたおせっかいな両親、特に父親の「教え魔」気質に無意識に影響を受けた結果なのですが)、まさに「教え魔」状態だったのですが、博士の原書を学んで「これはまずい」と気づき、教えることをやめました。

 

どちらのパターンにしても、こういう教え魔には、博士の講義「101 Ways to Happiness」の98番をお見舞いしてさしあげましょう(笑)

#98 Improve oneself instead of others

他人ではなく自分を改善せよ。つまり、「他人のことより自分のこと」ということです。

何でもかんでも「先回りして教える」ことが親切ではないということです。

スポーツにしても、下手な人が隣でプレイしていて「見ていられない」からとはいえ、それが即自分の妨げになりますか?ってことです。

まあ、自分のチームの中にそういう人がいれば自分も足を引っ張られるから…というのは理解できますが。

 

承認を通じて他者から「愛」を引き出そうとする輩に会うと、筆者は、ものすごく疲れます(笑)

これは筆者の個人的な考察ではありますが、この手の人ほど、寂しさを抱えているように見受けられます。

まずはその「寂しさ」を手放せ、と言いたいところではありますが、まず無理でしょうね。

 


 

 訳の紹介をやめてしまった代わりと言ってはなんですが、FBでご紹介していた、博士の教えとそれを日常生活に当てはめた筆者の日常をこのブログでご紹介していく方針です。いつまで続けるかは不明ですが。

 

 

行き詰まりをスピリチュアルに打開したいのなら

東京では緊急事態宣言が解除されましたが、一方で、東京に先駆けて緊急事態宣言が解除された大阪、あるいは先月より感染者が急増している宮城では、逆に「まん延防止等重点措置」なるものが発動される羽目になりました。

これによって、勤務時間が短くなり収入が下がるなど、「これでどうやって生きていけというのか!?」と叫びたくなるような事態に陥っている方もかなりいらっしゃるのではないかと思われます。

 

これは、筆者が一昨年あたりにやはり↑の状態になりかけたときに取った方法ですので、一つの参考にしていただければと思います。

筆者がとった方法としては、下記2つを兼ねる方法でもあるのですが、手始めに博士の書籍を、とにかく集中して読み込みました。

 

次に信念体系も含めた「手放し」を行いました。物理的に所有物(車など)を手放すという意味も含んでいます。

このとき、一部だけ手放すが「絶対に手放せないものがある」と固執しては意味がないので、「万が一ホームレスになったら、それはそれで神が決めたことだ」と割り切ることにしました。(その結果、ホームレスにも無職にもならずに済みました)

不思議なのは、これによって、それまで嫌いだったライスワークの、筆者の中での意味合いが変わったということです。

 

ほかに端的な方法としては、誰かから愛のエネルギーを注いでもらうのが手っ取り早いのですが、では誰に注いでもらうのか、という問題はあります。

筆者の個人的な感想ですが、正直、これを「誰かに」頼るのはおやめになったほうがいいです。相手の人に迷惑がかかるためネガティブカルマになりますし、逆に利用されて金づるにされたりモラハラを受けて相手の支配下に置かれてしまう可能性もあります。

筆者は、モラハラ気質の両親のもとで育ちました。両親のモノの考え方、人への接し方(というより両親の筆者に対する接し方)が正しいものだと思い込んで行動した結果、みごとに幼稚園~高校まで友人ができず、まあ大学では何人か友人がいたものの問題のある輩も混じっているほか、特に男子からは事あるごとにバカにされ笑われる始末で相手にしてもらえない、あるいは筆者に興味があるふりをしていたと思ったら実は下心のみで(例:不倫目的、とか、あるいはお金目的とか)おべっかを使っているだけだった…ということばかりでした。そして、威張る割には甘えてくる、要は筆者からエネルギーを奪うことしかしない輩ばかりです。そのため、基本的に筆者は今でも男性と人生をともにしたいと思わないし、同居なんてもってのほかと思っています。それでも現在は日常生活に一切困っていないので、それでいいと思っています。

そんな、両親からうっかり受け継いだモラハラ&マウンティングな性格を叩き直してくれたのは筆者が最初に就職した会社の上司と同僚でした。

 

閑話休題筆者は博士の教えを本格的に勉強するまで、基本的に「誰からも」愛を注いでもらえなかったということです。いや、両親はあなたのことを愛していたよ、と言う方は多いのですが、モラハラは真実の愛ではありません。筆者の両親の行動は基本的に支配欲とモラハラ、それは意識レベル200未満の「執着」に由来するものでしかないのです。そんなモラハラ親が、子供のために、と動くのは、支配対象がいなくなってしまったら自分が困るからであって、愛からではないのです。そんな両親、思った以上に多いですね。真実の愛と執着を取り違えた結果ともいえますが、「それでも親は親」なんていう信念体系が子供を苦しめる結果になっているんだと、日本は早く気が付くべきです。

筆者の場合、それを打開したのは、やはりホーキンズ博士でした。博士はすでにあの世へ戻られていますが、生前に残した本を通じて、また講義を通じて、信者(?)に対して真実の愛を注ぎ続けているといわれており、これは筆者も実体験上その通りだと認めざるを得ません。

 

なので、ホーキンズ博士でもいいですし、とにかく意識レベル540以上の「真実かつ無条件の愛」を注いでくれる教えや人物を一刻も早く探すことをお勧めします。

(ホーキンズ博士を推している人であってもモラハラを平気でやる人とかネット上にいますので、本当に結果が出るかどうかはその人のカルマによるとだけ申し上げておきますが…)

 

真実の愛が枯渇していると、エネルギーが不足した状態になりますから、日常生活でもトラブルが多発するほか、「寂しい…」という状態になります。

 本当は愛を実践しなければ愛は戻ってこないのですが、あまりにも「落ちている」状態ですとそれどころではありませんので。まずは自分自身が愛=エネルギーを補給されてください。

 

このご時世だからこそ、自分の内面と繋がる努力を。

努力、というほどのことでもないとは思うのですが、新型コロナウイルスが蔓延するとともに、その感染対策としてステイホーム、ソーシャルディスタンス、オンライン推奨などと「人と直に接することができない」状態が続き、そのことで精神的に参っている女性が多いのではないか? と思い始めているところです。

それは男性も同じかもしれませんが。

 

本来なら、「別に完全に孤独になったわけじゃあるまいし、しっかりせい」と言ってやるところではありますが、この手の孤独の気持ちや不安心配の気持ちに対してはスピリチュアル的な解決方法があります。

 

まず、何度かこのブログでもご紹介しましたが、人の本体は肉体ではなく意識であり、人は意識で繋がっているのだということです。

 

だから、一人でいるからといって不安に感じる必要などないということです。もっといえば、自分が集合意識に振り回されているから、マスコミからの刷り込みに頼っているから、自分のマインドが外側ばっかりむいていて内側を見ようとしないから、心の中が大騒ぎになるっていると言ってもいいかもしれません。

マインドは外側を見て大騒ぎするのが大好きという性格をしています。だからマインドの言いなりになってはダメだという話も、すでにこのブログでさせていただいた通りです。

自分の内側に感じるものをただ感じ切って手放すことから、自分の内面とつながる作業が始まります。

 

ということで、このコロナ禍は、スピリチュアルに成長する絶好のチャンスかもしれません。実は、ステイホーム、ソーシャルディスタンスは筆者の得意とするライフスタイルですのでそもそもそんなに苦労はしていないのですが。

 

自分は良くても、家族が、特に子供が、と気になるとは思いますが、人はそのオーラで相互に影響しあっているのですから、自分が子供の良い手本になってやる、くらいの気持ちで取り組むのもありではないでしょうか。

 

意外と子供の方が冷静で落ち着いていたりするかもしれませんし。

 

ちなみに、そうした不安の感情は次々とネガティブな出来事を引き寄せてしまいます。もっと言えば、職を失うケースにも繋がります。

現実に存在する問題・トラブルは逃げずに早めに取り組むと、残るのは根拠のないネガティブな感情だけになります。根拠がないわけですから振り回されている場合ではありません。

 

ちなみに筆者は、仕事でもプライベートでも単独行動が多いですが、真実のスピリチュアルを学んでからは、寂しいとか繋がりたいとか思ったことは一度もありません。

でもそんなときほど人は寄ってくるものです。

 

説教するつもりでこの記事を書いたわけではありませんが、最近、自分の心を整えようともせずに、ただ根拠のない寂しさや不安を筆者にぶつけて不安を筆者に取り除いてもらおうとする不届きな男女があまりにも多いので、ひとこと言わせていただきました。

 

パワスポ化よりも、整理整頓!?

筆者の自宅と職場は2月に発生した福島県地震で家具が倒壊し、代わりの家具を導入するのに合計60万円超の出費となってしまいました。

とはいっても、ニ〇リなどではなく特注の家具を導入したためなので、完全に筆者の選択によるものではあるのですが…。

 

その間、仕事の書類や博士の本などは散乱…とはまではいかなくても、部屋の片隅に寄せておいているだけという状態になっていました。

 そのためか、だんだん、仕事の効率が下がり、モチベーションにも悪影響が出てきておりました。

 

発注した家具のうち最後のものが一昨日到着いたしまして、その後急に、ライスワークの処理も進むようになりました。

たまっていた仕事が2日のうちにほぼすべてなくなった、という感じです。

 

パワースポット化は相変わらず実施していましたが、やはり整理整頓には勝てないようです…

 

以前このブログで、「自宅パワースポット化」について何度か警告めいたことを書きましたが、あの方法では対処できない場所があります。

それも、「旅先」とかいうレベルではなく、自分の本拠地でありながらも、パワースポット化が効かない場所が存在するのだということです。

これは、「どこが効き目がありません」と列挙するのは非常に大変すぎるので、個々にはあえて書きません。

写真を印刷して壁に貼って皆運気が上がるのなら、誰も苦労はしないのかもしれません。博士の教えも、自ら実践して身に着けない限り、何の意味もないとすら言われています。

 

この、自宅パワースポット化を実践しようとした筆者の知人も、「全然(パワースポット化が)効かない」という趣旨の発言をしていましたが、よくよく聞くと「自宅の整理整頓や掃除をほぼしていない」ということでした…。

 

その教材をお金を出して買うよりも、断捨離や整理整頓のことを学んだほうがいいかもしれません。

 

*緊急連絡* (と言っていいのかどうか…)

このブログでデヴィッド・ホーキンズ博士の本を訳してご紹介していますが、どうも最近、自分の中でもブレーキがかかっております…。

怠けているとか疲れているいうレベルではなく、このパターンは、「何かのお告げ」レベルでして、自分のエゴ/マインドごときでは到底超えられないものを感じます。

 

一応、(以前にも記事に書きましたが)ベリタス出版は非常に著作権に厳しいということもあり、大ごとになる前に一度お休みさせていただこうと思います。

 

いや、博士の教えに沿って生きることに変わりはないのですが、「本を訳して紹介する」となると、かつての自分もそうであったように、読むほうの方々の「考える力」を奪うことになりかねないかも、とも思っておりました。

良かれと思ってやったことでネガティブカルマを積むのだけは嫌です^^;

 

今後のこのブログの在り方も考え直す時期に来ているようです。

 

以前、「筆者の霊的実践の結果を時折紹介していく」という件について、FBへの投稿からこのブログへの投稿にシフトしていくという方法で、このブログを当面存続させようと思っています。

ただ、筆者も結構気まぐれで、かつ、決めたことは即実行してしまうので、いつどうなるかわかりませんが、その点はご了承いただければ幸いです。

 

博士の遺稿とされる「Success is for You」に、「広告は新商品・新サービス(新規開店を含む)の告知に使うのはよいが、同じものを何度も手を変え品を変え宣伝するのは逆効果だ、その前に商品サービスそのものの欠陥を直せ」という趣旨の記述があります。その通りに、昨年、筆者は自分の会社のSNSをすべてやめました。広告も一切止めました。

その結果ですが、ジリ貧どころか忙しくさせていただいております。

 

もっとも、先月の福島県地震にはさすがに肝を冷やしましたが(笑)

↑実は地震からの復旧に60万円くらいかかっておりました

 

自営にしても雇われるにしても、まずは自分を充実させる、もっと言えば自分の意識レベルを上げることが先決のようです。

 

(忙しすぎて、博士の本を読む時間が取れなくなってきているのが玉に瑕ですが…)

ということで、急なことで恐縮ですが、この先の続きが気になる方はぜひ別記事でご紹介している原書を取り寄せて(あるいは電子書籍で)読んでみていただければと思います。

 

筆者の個人的な感想ですが、どのスピリチュアルよりも安価で結果を出せるんじゃないかと思います。

自分と向き合わないといけないのできついですが。

 

主観性(Subjectivity) その3 2021/3/20

理解(realization)※は「私」がコンテントやデータではなく、いくつかのステップがコンテントないしはプログラム(信念体系)から取り除かれた非個人的な領域であることに気が付いた結果として発生する。そのとき人は自分が参加者あるいは主役ではなく聴衆なのだということに気が付く。

 


 

「(何か)について知る」ということは情報そのものが親しみのあるものだとしてもその現実と真実は経験的に確信を得られるという点はそのままである。その確実性に到達する最終ステージにおいては、本当に知るということはそのものに「なる」ということであり、それゆえ、両者の主体と知る者は一体化するのである。「~について」知るというのはマインド主体の精神的活動である。経験的に知るということは確証として受け入れられたということである。

 


 

意識の気づきの領域は時系列(time-tracked)ではない。それは静謐であり、自律であり、努力を要せず、平和であり、すべてを包含し、そして洗脳されていない。※2 それは自由であり、束縛から解放されており、自発的であり、静かであり、生や死の主題ではない。この領域の発見はシンプルであり簡単である。そしてくつろいでいる。実現とは「試す」のではなく「参加する」ことの結果である。それは獲得の対象ではなくサレンダーの対象である。コントロールしたいという欲望とエゴの執着が手放されたとき、意識の気づきの領域は自らその姿をあらわにする。

 


 

 問:マインドの向こう側とは何ですか?

答:コンテント、いわば思考や感覚やイメージを取り除いた主観的な気づきのことである。それは静寂・静止・不動であり、あまねく臨在し、すべてを包含する。

 


 

 好奇心は、思考のコンテントと形から、意識/気づきそれ自体の静かな生まれたての領域に気づくために、変化することがある。静謐こそがSelfであり、思考は小さな自己である。

 


 

 エゴ/マインドは斬新なものに惹きつけられ、それゆえ、面白い形と知覚を必死に探し求める。これは拒否されるべきだし、興味なるものは常に臨在しているが単に気づかれないというだけの静かで形なき基盤に置き換えられるべきである。それは音が識別され得ない静かなバックグラウンドと比較されうる。

 

 

 

 

 ※realizationを本当に正確に訳しているホーキンズ博士関連の書籍・ブログには筆者はまだ出会ったことがありません。Reality、realといった単語との関連を考えた時、上段の訳し方がおそらく意味的には理解しやすいのだろうなということで現在暫定的にこのように訳しています。

※原文上の単語は「unprogrammed」です。直訳すれば「プログラムされていない」ということになります。本ブログでも、programを「プログラム」と訳していたケースが多かったですが、人間は本当にマスメディア等に影響を受けやすいことを考慮して、意訳ではありますが「洗脳」と訳すことにしました。

 

 

 

 

 (書籍版「Dissolving the Ego, Realizing the Self」David R. Hawkins, M.D., Ph.D. 83~84頁)

 

原典はこちら