ブログLSOスピンオフ 人生に役立つスピリチュアル特集

スピリチュアルの技術を駆使して人生を改善してきた著者が、その理論と技術を公開。

意識レベルについて:「罪悪感」(LOC.30)その9 罪悪感を超越するには

ホーキンズ博士は、罪悪感を超越(乗り越える)ためには、ものの見方を別の角度から見る技術を身につけるのがよいとしています。

 

そしてそこには、「霊的な援助」が必要だ、とも。

要は、意識レベル540以上のハイパワーに触れつつ、ものの捉え方・見方を直していかないと乗り越えられないよということのようです。

 

今特定の出来事で罪悪感を感じている方からすれば、「ものの見方や解釈を変えるなんてそんなことできないよ」と思われるかもしれません。

特に、交通事故の加害者となってしまった。噂の「プリウスアタック」をやってしまった。(筆者のMacがこの単語を打ち終わる前から予測変換していたのが不思議で仕方ありません…)

なんていうとき、怪我が元に戻るわけじゃなし、自分の立場が事故前に戻るわけじゃなし、まして犠牲者を出したというなら犠牲者が戻るわけじゃなし…、と思い込んでしまうのも無理はありません。

(何度も言いますが、こういうとき、物理的な賠償を全然しないで「許してください」はナシですよ。現実面で対処できることはやらないと、無意識の罪悪感はうごめき続けます。)

 

その方法としてオススメされているのが、「奇跡のコース」と呼ばれるものでして、これはテキストとワークブックからなります。

特にワークブックは人間の信念体系を打ち破り愛に基づく視点を身につけられるようになると言われております。

 

それを進めていくと、いつの間にか、「私は物事を別の見方をしている」と思えるようになっていきます。

 

ちなみに筆者は、奇跡のコースを軽く2巡して、あまり意味がつかめないうちに放り出してしまいました(苦笑)

そうしないと、いつまでもホーキンズ博士の原書を読み進めていけないというのが大きな理由でして…。

博士の本を熟読しているほうが、気づきが多くて癒されるんですね。

自分がコンプリートしてもいないものを勧めるなんて…と思われるかもしれませんが、ホーキンズ博士の原書よりも奇跡のコースの意識レベルのほうが一般的には馴染みは良いので書店で見かけたら一度試してみるのもいいと思います。

 

なお、奇跡のコース、テキストの意識レベルは570、ワークブックの意識レベルは600です。

ホーキンズ博士は「奇跡のコースはワークブックだけやれば良い」と言っているようですが、これだと奇跡のコースの言わんとしているところを理解できないので、奇跡のコースをやるんだとしたらテキストは一応読んでおいたほうが良いと思われます。

 

 

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)

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意識レベルについて:「罪悪感」(LOC.30)その8 脳内編纂されてしまう記憶

裁判で証言、という場合、「ありのままを話してください」と裁判官より告げられることになりますが、このときの証人の脳内では、「ありのまま=自分が感じたまま」として編纂されてしまい、証言は「証人が感じたまま」を話してしまうようになります。

 

これは特に意識レベルが低い状態だと仕方のないことで、自分の「知覚」が「真実」だと思い込んでしまうようになる、というのがホーキンズ博士の話です。

 

ドラレコや防犯カメラのようにはいかないのです。

 

仮に見たものをそのまま表現できたとしても、意識レベルの低い状態だとその見たものの内容を理解することができないのです。

これが、意識レベルの低さの怖いところです。

特に罪悪感(=自分はダメなんだ の感情)が残った状態のままでは、より高い意識レベル的視点から物事を見ることができないのです。

 

 

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)

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意識レベルについて:「罪悪感」(LOC.30)その7 罪悪感のもう一つの表現方法

罪悪感についての話が続きますが、今度は、罪悪感という感情を「自分自身に振り向ける」のではなく「他人に投影した場合」の話をさせていただきます。

 

この話をすると結構な数の人が反発してくるのですが、それだけ、自分たちがどれほどの「罪悪感」を抱いたままそのことに気がつかないでいるのかということでもあります。

 

多分理解し難い話になるんじゃないかと思いますが、どんな霊的ワークをしても効果が出なくて行き詰まりを感じている方のためにこの記事を残しておきます。

 

ホーキンズ博士は、外部から自分の人格に組み込まれた価値観や学習内容=信念体系が肥大化しすぎることで過度の罪悪感や必要以上の慎重さ(要は自分が取り入れた信念体系にがんじがらめになり身動きが取れないということ)につながり、やがてそれは自分が傷ついたことを他人のせいにし正当化するという行為につながることがある、としています。

 

「敵に対して復讐する」「やられたらやり返す」という行動がまさにそれです。

一見、当たり前のこと、普通のことに見えますが、これを悪用しているのが一部の宗教や政治団体だったりします。

(どことは言いません。世界中で話題となっている例の組織を思い浮かべてみてください)

 

なぜこれが霊的によくないかというと、ホーキンズ博士いわく、この罪悪感の裏返しに巻き込まれることによって低次元のエネルギーに絡め取られ自分の意識レベルが著しく下がるためです。

 

そうすると、物理面でも「やることなすことうまくいかない」とか「人生が思うようにならない」「幸せになれない」などの不都合が生じます。(このブログの第一次的意義はそうした物質世界における不都合を回避するための情報提供、という意味合いが強いのです。)

その状態で人生を終えると、人生を終えた時点の意識レベルを維持したまま「あの世」へ帰ることになりますので、苦しみが未来永劫続くということになります。

関連記事のリンクを貼っておきますので読んでみてください。

miyagilso.hateblo.jp

 

本記事の参考文献はこちら。

 

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)

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意識レベルについて:「罪悪感」(LOC.30)その6 過去の罪悪感を放置してはいけない理由

さて、過去の罪悪感というものとの向き合い方を前回記事でご紹介しましたが、この過去の罪悪感や過去の後悔を放置してはいけない理由があります。

 

それは、罪悪感(意識レベル30)や後悔(意識レベル75)のエネルギーは、本人を破壊するからです。

 

ホーキンズ博士の著書「Transcending the Levels of Consciousness」より抜粋します。

 

Excessive guilt and remorse are a disguised form of egotism in which the self becomes blown up, exaggerated, and the hero of the tragedy, the negativity of which feeds the ego.

極端な罪悪感と後悔の念はエゴが生み出すネガティブな(偽りの)形である。それは自分自身を吹き飛ばし、仰々しくし、悲劇のヒーローに仕立て上げるようなネガティブ性であり、エゴに栄養を与えるものであるからだ。

 

 

エゴというものは人間のネガティブ性の諸悪の根源ともいうべき存在であり、ネガティブ性に浸かれば浸かるほどエゴは元気を増してますます人間を振り回しまくるのです。

その怖さ(?)については追って紹介します。

 

なお、過去の出来事について「もっとよく対処できたのに」と思うことは、エゴの言いなりになってしまっているというサインです。

「あのときは…これしか自分にできることはなかった」(もしかしたらもっとベターな対応ができたのかもしれないが、結果としてできなかったわけですからね)という謙虚さが大事です。

 

そしてそうすることしかできなかった自分を許してあげることです。

たとえ世間があなたをいつまでも責め続けていた、としても。

 

 

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)

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意識レベルについて:「罪悪感」(LOC.30)その5 過去の過ちを罪悪感の材料にするな。

罪悪感というものは過去に関連する、という話を前回記事でいたしましたが、特に「くよくよしやすい」人は過去のことが突如記憶の底から出てきては罪悪感にとらわれてしまう…という経験があるのではないでしょうか。

 

スピリチュアル的に、過去の失敗というものがどういう意味を持つのかについて時折質問されることがありますが、総称するならば「そこから学びを得ることだ」というくらいしかないかもしれません。

 

逆に言えば、人間の歴史というものは学びに満ちています。

 

我々の本体である魂は無限の存在ですが、人間として地上にいるうちは人間ゆえの制限と欠陥を背負ってしまっています。

そして、人間が「考えていること」を生み出すと思われているのがいわゆる「マインド」ですが、人間のマインドには善悪の判断がつけられないというどうしようもない欠陥があります。

それを補うのが、各種科学だったりするわけです。

たとえば、毒キノコを食べたら死んでしまう。毒蛇にかまれたら死んでしまう。

そんな学習が人間の制限を補完し続けているわけです。

 

なので、過去の出来事について罪悪感を感じたら、「自分は無知だ」「当時はそれがベストだと、自分のマインドは判断せざるを得なかったんだ」と思うことで罪悪感は緩和される、というのがホーキンズ博士の教えなのです。

 

そうであっても非難は付いて回るかもしれません。

しかし制限だらけの人間に「完璧」はありませんし、その出来事で相手にとっても学びがあったりします。

 

罪悪感、そして今後紹介予定の「後悔」に対する特効薬は、謙虚さと受容です。

誰しも、いつまでもいつまでも過去のことを蒸し返されたら、いくら反省して「今はそんなことをしないくらいに改善している」状態でも嫌になってきます。

ただしこのとき、「自分はまだ自分の過去の失敗を許せてないのかもしれない」と自問自答したほうがいいです。

相手は鏡、だからです。

 

もし、何か過去のことで悩んでいて、「二度とあんな失敗はしたくない」と思っているなら、「当時の自分にとってはあれがベスト、という程度でしかないほど自分は無知だったんだ」ということを静かに受け入れてみてください。

まあ、無知なんだから、当時はしょうがないよね。でも同じことをやらないようにしようね。的な感じです。

このあたりも、エネルギーフィールドを高いところに自分を置くことで劇的に改善できるものと思われます。

 

もちろん、過去の失敗で誰かに損害を与えたならば、可能な範囲で物理的な賠償は行ってください。

霊的成長ステップの一つにも、「迷惑をかけた相手に対して可能な限り償いを行う」という内容のものがあります。

知らんぷりはネガティブなカルマをたくさん積む羽目になります。

 

意外と、「自分はなんでもできる、なんでも知っている」と思っている人ほど、ささいなことで失敗をしたときに罪悪感と後悔を感じ続けるものです。

「自分はなんでも知っている」という態度の意識レベルは175、傲慢の領域になります。

普段傲慢でいると(内心だけ、を含む)マインドの制限ゆえに過去の出来事で罪悪感を感じ続ける羽目になるような場面に遭遇しかねないため、傲慢さを捨てないとまずいよって話になるわけです。

 

 

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)

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意識レベルについて:「罪悪感」(LOC.30)その4 罪悪感は過去に関連する

罪悪感というものが社会や親や学校などからのプログラムにガッツリと根付いており、その大元というのが「人を操作支配するのに使える感情だから」という理由からきているという話をしました。

 

そもそも罪悪感というのは、「良いとされていることをしない・できない」あるいは「悪いとされていることをしてしまう」ことに関するネガティブな感情です。

そして、良い・悪いの判断自体が意識レベル180であるという話を以前いたしました。

 

miyagilso.hateblo.jp

 

つまり特定の行動や考えを切り取って「あれはよい」「あれは悪い」という訳にはいかないのです。

それはなぜかというと、我々の「マインド」は生来的に善悪の判断がつけられない仕組みとなっているため、無知な者が「あれは良い」「あれは悪い」と言い出したところで信頼できる判断とは言えないということは自明です。

 

ホーキンズ博士は、「(過去の)過ちは避けられないものである」と著書の中で話しています。

 

またしても東日本大震災の話で恐縮ですが、現地では大津波警報が出ており、かつ町中の防災無線がけたたましく鳴り響いているにもかかわらず、「本当に津波なんて来るのー?」とばかりに高台から下へ降りていったり川の堤防に上がって海を見学していたりという人がいました。

現地でも彼らの行動を嘲笑していた人もいたのです。

津波なんて本当に来るんだろうかって下に降りていって…バカじゃね?」

死人に口無しとばかりに。

 

確かに、今となっては「バカじゃね?」となるのかもしれませんが、嘲笑する前に我々はそこから学びを得る必要があります。

博士は、こうした過ちを、「非個人的なものである」と言っています。

要は、「そこから学習しなければ、明日は我が身だ」という意味です。

 

無知なら無知なりに、故人の過ちから学ぶ必要があります。

しかし悲しいかな、いわゆる「語り部」や「歴史」からの学びを拒絶し、相手を「哀れな人」と見て自分のくだらない自尊心を保とうとする輩のほうが圧倒的に多いのです…。

 

そしてその結果が、あの日(3.11)以来頻度が増している大規模自然災害の数々のような気がしてなりません。

 

こうした「過ち」から学び続けるなど、罪悪感を呼び起こす過去の出来事はコンテキスト(背景)を見直すことで、その意味も意識レベルも変わるのです。

 

 

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)

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意識レベルについて:「罪悪感」(LOC.30)その3 罪悪感を利用する者

「その1」でもちょっとだけ書きましたが、罪悪感という感情は人を教育・操作するのに利用されます。

 

「そんなことをして恥ずかしいと思わないのか」

相手が悪いことをしたときに出ることがあるであろうこのセリフは、一見まともに見えますが、実は罪悪感を見越した操作的なセリフなのです。

特に、親や学校や社会から教育される内容の中には、罪悪感を感じさせる内容のものが多数含まれています。

そのことが、本人を「賢く」させることもありますが、意識レベルを下げてしまう引き金になってしまっているケースも往々にしてあります。

 

その大元も、親も学校の関係者も「人間」であり、生来的に「無知」ですから、その刷り込みは仕方がないことです。

「なぜ俺にこんなことを教えたんだぁー」と怒らないようにしましょう。

 

罪悪感のレベルの怖いところは、前回ご紹介した「恥」と近しいレベルでもあるため、結果的に「自分は生きている価値のない人間」「自分は神に憎まれている」「救いようがないどうしようもない人間なんだ」と自分で自分を追い込む可能性が高いという性質を持っているという点です。

 

そして、神に対しては、「自分がどれほど苦しんでるのか、わかってんの!?」とキレる、そんな性質があります。

 

これらの「穴」から抜け出る方法としては、本来であれば魂としては無限の存在であるものの人類も個人としての人間も人間であるがゆえに制限がかかっており、マインドの性質も手伝って基本的に「無知」であり、自分が何をしているのか全く分かっていない、理解できてないということを認識し、その視点で思いやり・寛容さをもって見ることです。

 

そう、なんだかんだ言っても、「わかっていない」のですよ(笑)

そう思うところから始めないと、「正しい・間違っている」の論法にハマってしまい、本当に大事なことを見落としてしまいます。

 

 

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)

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