デヴィッド・ホーキンズ博士の教え紹介(一部)のブログ

スピリチュアルの技術を駆使して人生を改善してきた著者が、その理論と技術を公開。

主観性(Subjectivity) その2 2021/3/19

 出口はシンプルである。自分の興味関心を、すべての経験の絶対的な主観性の内側へと向けることだ。生命の表現すべてに伴う主観性の感覚の性質を検証せよ。ラベル付けすることなく、それをつねに覚えておくことだ。すべての瞬間において、すべてのタイミングにおいて、そしてすべての状況下において、である。そこには究極の、それ以上細分化できない、主観性の基盤がつねに存在する。それは決して変化することがない。経験することの本質とは、そのいかなる形(考えること、感じること、見ること、知ること、などなど)においても、主観的な質の存在である。それではさらに、この、臨在する主観的経験なるものが何なのか発見するためにさらに深く見ていくことにしよう。これがなくては、人が存在することを知る可能性すらないだろう。

こう尋ねてみるといい。「自分が存在するということを、どうやって気づくか、あるいは知ることができるか?」と。この質問こそが、臨在するRealityへと、真っ直ぐに、そして非言語的に、自分が導かれるためにできる最良の行動である。その、気づきとして経験される臨在する主観性の質、能力、あるいは状態と一体化するのだ。それが意識そのものである。それと一体化するのだ。意識に関する「何か」と一体化するのではなく、意識そのものと、である。これがSelfへの直線ルートである。これが戸口を抜けるためのたった一つの実践である。知るべきもの、習うべきもの、あるいは覚えるべきものは何もない。集中し、凝視し、瞑想し、熟考し、そして見つめることだけが、そして、存在の基盤及び源は、意識の光としての神の臨在の根本的主観性であることに気づくことだけが必要とされる。

 


 

人の存在の内的核心を自分が存在する現実として受け入れるということは、自分自身を「誰」として定義することを手放すことであり、そして自分を「誰」ではなく「何」として見ることである。

 


 

 簡単に言えば、realizationとかenlightenmentとかいうのはselfの感覚が限界のある線型・物質領域から非線形・無限・無形の領域へと移動した状態のことである。「私」は目に見える領域から目に見えない領域へと移る。これは気づきと対象物としての形の知覚との一体化から究極の現実としての純粋な主観性の実現へのシフトとして発生する。

 

 

 

 

 

 (書籍版「Dissolving the Ego, Realizing the Self」David R. Hawkins, M.D., Ph.D. 82~83頁)

 

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主観性(Subjectivity) その1 2021/3/18

客観的な世界がある。「外側」として認識される世界である。形として存在し、時間と空間に統治されている。そして主観的な経験がある。「在る」という内なる状態である。あなたが何者か、どうやって知ることができるか? あなたが存在するということを、どうやって知ることができるか? ホーキンズ博士は内側を見つめる霊的な生徒に対し、意識の非個人的なクオリティと、気づきのフィールドそれ自体を指し示している。それらは通常は、エゴ/マインドが知覚を通じて発生する現象のコンテントに気をとられてしまうため気づかずスルーされるものである。

 

 

 

※いよいよ、ホーキンズ博士の教えの本題に入ってきた! という感じがします。

 

 

 

 (書籍版「Dissolving the Ego, Realizing the Self」David R. Hawkins, M.D., Ph.D. 81頁)

 

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ノー・マインドの道 その24 2021/3/17

 エゴ/マインドは、もし自分(=エゴ/マインドのこと)が考えないとしたら、(1)退屈になる(2)自分の存在が消えてしまうことを恐れている。退屈の問題点は、単に「おもしろい」思考を楽しめないことによる不満だということを理解することによって比較的簡単に乗り越えることができる。考えることを超越するには、思考が湧き出るところから出てくる代用品を探すことに再び興味の焦点があてられるべきである。

 


 

エゴの性質を理解し受け入れることによって、それは超越され、そしてついには、その立ち位置とその結果としての二元性が明け渡されたとき崩壊し消滅する。エゴは光明に至る(悟りのようなものだが悟りとは違い永久的なもの)ことは決してないが、その代わり、消滅して崩壊する。エゴは、ブッダが指摘したような超越的現実にとって代わられる。それは、仏性である。雲がなくなったとき太陽がおのずと姿を現すように、Selfの現実は啓示として、気づきとして、そして光明としておのずと立ち現れるのである。

 

 

 

 

 (書籍版「Dissolving the Ego, Realizing the Self」David R. Hawkins, M.D., Ph.D. 78~79頁)

 

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ノー・マインドの道 その23 2021/3/16

 自分がマインドあるいは身体「である」というのではなく、自分はマインドと身体を「持っている」ということに気づくのは大いなる自由をもたらす。ひとたび死の恐怖が超越されると、人生はその経験が変容する。なぜなら、死の恐怖はすべての恐怖の根底に横たわっているからである。ほとんどの人間は恐怖なしに生きるということが何であるかを知らない。しかし恐怖の向こう側には、存在の意味と目的が明白になるものとしての喜びが横たわっている。ひとたびこの気づきが起きれば、人生は努力が要らないものとなり、苦しみの源は消え去る。苦しみとは自分の執着のためにのみ支払う対価である。 

 


 

 霊的な進化とselfと己のマインドの同一化を超越することに対する主要な障害というのは、ランダムな精神活動を通じてデータ・シンボル・言葉を処理することにあり、これが「考えること」と推定されるものである。

 


 

 人は、自分で考えない限り、人生をうまくやることはできないだろうという幻想を抱く。そんなことは一切起こりえない。いかなる個人も、(本人の人生には)必要ないのである。自分の行動に責任を取るべき「私」が存在するなどと考える必要はないのである。すべてはおのずと己のやるべきことをやっている。「私がこれをやった…私がこれを考えついた…私がこれを決断した…」などと言い出すのは、エゴの虚栄心なのである。そんな「私」など一切存在しない。それらはすべて自分自身で決断し自分自身で行動している(すべて自発的である)。「私」にとって必要なものなど存在しない。「行動者」がいるのではなくすべてが自発的に「自ら行っている」だけなのである。何かをしている分離した人物など存在しない。行動はおのずと発生する。客体化は止まる。経験は連続的な状態からそれ自体のプロセスへと、線型から非線形へとシフトし、主体と対象はすべて一つである。

 

 

 

 

 (書籍版「Dissolving the Ego, Realizing the Self」David R. Hawkins, M.D., Ph.D. 77~78頁)

 

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ノー・マインドの道 その22 2021/3/15

問:人はどうやって進歩を加速させるのでしょうか?

答:それは自然な好奇心だ。選択が、マインドが注意を向ける方向性の癖の傾向を作る。どの瞬間も、それぞれ、気づきに必要な要素なのである。表面だけでなくむしろ本質を探しなさい。すべては完璧なのである。それが本当に何であるかわかったならば、ではあるが。すべてのものは正確には「おそらくそうなんだろう」という形で存在しているのだ。それが輝く新しいものだろうが、くすんで汚れたものだろうが。

形容詞を避けろ。なぜなら形容詞などすべて投影であり、(エゴと結託した)マインドが生み出した資格だからである。のちに、人は動詞も副詞も捨て去るようになる。なぜなら何も、実際に何かを「している」わけではないからである。それはただ生来的に存在する。変遷とは動詞、動き続けるものとして観察する観察者の内在に由来する現象である。もしそれら現象が1万分の1秒よりも早い速度で見ることができたなら、すべては安定したものとして現れるだろう。

 


 

間違いは我々が、「自分はあのものである」という信念体系にしがみついたときに発生する。霊的真実は我々が「あれ」そのものではなく自分が「あれ」を所有しているとか「あれ」をしているとかということを理解したとき、明らかになる。

 

 

 

 (書籍版「Dissolving the Ego, Realizing the Self」David R. Hawkins, M.D., Ph.D. 76頁)

 

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ノー・マインドの道 その21 2021/3/14

霊的な進歩はマインドが理解を通じてエゴのコンテントを再構築化しその(エゴの)メカニズムそのものを見分けることができるから可能なのである。これがひとたび起これば、人はもはやエゴの「恩恵に」盲目に従うことはなくなる。 

 


 

エゴの報酬が拒絶され手放されるにつれ、その精神上の拘束は減り、疑いの残滓が漸進的に放棄されるにつれ霊的な経験が 進歩する。結果として、信念体系は経験的知識に置き換えられ、(霊的真実に対する)献身の深さと熱意が増し、果てはそれ以外の世界に属するすべての活動と興味に取って代わり浸食することにすらなるだろう。 

 


 

 結果的に、形というのは形なきものによって作られており、それは一つかつ同じものだということが判明する。しかしその気づきが起きるまでは、形それ自体が(霊的真実の実践に対する)気を散らすものであり、また遅らせるものであり、それゆえ避けるのが最善のものである。

 

 

 

 (書籍版「Dissolving the Ego, Realizing the Self」David R. Hawkins, M.D., Ph.D. 75頁)

 

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ノー・マインドの道 その20 2021/3/13

もし、人生のゴールが存在の瞬間それぞれに自分のベストを尽くすことだということであれば、霊的ワークを通じて、人はすでに苦しみの主要な原因を脱している。まさに今この瞬間の静止画の中には、反応あるいは編集すべき人生のストーリーなど存在しない。この、マインドの「一点集中」により、すべてのものは、コメントも形容詞も要らない、ただ「あるがままにある」だけだということが明らかとなる。

   


 

マインドがおしゃべりをやめたとき、人は自分自身が人生そのものなのだということに気づく。人は人生の上っ面にいてそれについておしゃべりするのではなく、人生そのものに没頭していく。逆説的に、これが「完全なる参加」を可能にする。エゴの自己中心性を減らすことで、自由の喜びと全くの人生の流れが本人を完全なるサレンダーへと押し流す。そのとき、人は、人生が神聖さとともに楽しめるようになるために、人生に対し反応するのをやめるのである。

 

 

 

 

 (書籍版「Dissolving the Ego, Realizing the Self」David R. Hawkins, M.D., Ph.D. 74頁)

 

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