ブログLSOスピンオフ 人生に役立つスピリチュアル特集

スピリチュアルの技術を駆使して人生を改善してきた著者が、その理論と技術を公開。

愛 その3 愛は癒す

前回記事にて、

「寂しいと思うのならまず自分が愛を周囲に実践せよ」

という趣旨の内容をご紹介しました。

 

昨今の報道にて、特に日本では「お金を払っているのだから優しくしてもらえるのが当たり前?」と言わんばかりの御仁が表出しているような気がいたします。

ここまでくると、もはや愛を与え受け取るというレベルではなくなっているような気もしますが。

 

愛について、ホーキンズ博士はこうも言っています。

一般的に、人々は愛のことを
「愛しい人」とか「恋人」といった「ロマンチックな」
ものとして考えがちである。

しかし、ロマンチックな愛とは
人間の人生においてはさほど重要ではないのだ。

愛には、個人的でロマンチックな愛よりも多くの種類があり、
それらは我々の毎日の経験をもたらしている。

ペットの愛、家族と友人の愛、自由の愛、目的・決意の愛、
国土愛、特性の愛、万物の愛、美徳としての愛、熱意としての愛、
ゆるしとしての愛、受け入れることとしての愛、やる気としての愛、
感謝としての愛、親切としての愛、人間関係の本質としての愛、
アルコホリックアノニマスに見られるようなグループの力としての愛、
賞賛としての愛、尊敬としての愛、勇敢さとしての愛、
エイズ患者支援ボランティア・級友・船員仲間・チームメイト間の友愛としての愛、
友情としての愛、誠実さとしての愛、慈しみとしての愛、
可愛がることとしての愛、母としての自己犠牲的愛、献身としての愛がある。

 まあいわゆるロマンスも意識レベル200~499程度と言われており、これも愛を知るための道具として使えると言えば使えるのですが、ロマンスの怖いところは「感情」を使うために執着につながりやすいところかもしれません。

それを言えば、ボランティアひとつとっても「これだけしてあげたのに」的な感情を抱く可能性も否定はできませんが。

 

そうした感情をすべて放り投げて他者のために思いやりを持って行動するとき、あるいは愛の状態で存在するとき、我々は真実の意味で「愛を実践」していることになります。

 

博士は、「愛とは多くの輝きを放つものである」と言っています。

愛することについてすべてのネガティブな感情を放棄することが重要だ、とも。

 

このレベルに到達すると、それまでできていたことができなくなることがあります。

典型例は鳥獣の狩猟かもしれません。(闘牛のような「動物いじめ」系のレクリエーションは軒並み意識レベル200未満:ネガティブの領域であることがわかっています)

または、パンクロックのバンド活動であるとか。(これも意識レベル200未満:ネガティブの領域です)

また逆に、このレベルでなければできない活動もあります。継続的な被災地支援などがその典型例と思われます。

 

愛はエネルギーを放射しているため、すべての状況を変えてしまうと言われています。

これは愛ゆえの独特な性格です。

たとえば、憎しみに満ちた人が愛の人の前に立つと突然許してくれることもあります。

「あの怖い人があんな優しいことを言うとは思わなかった…」

 

そんな状況があったら、その場面に、何らかの形で「真実の愛」が介在していた可能性も無きにしも非ずです。