ブログLSOスピンオフ 人生に役立つスピリチュアル特集

スピリチュアルの技術を駆使して人生を改善してきた著者が、その理論と技術を公開。

霊的教師の探し方(というより悪い霊的教師の見抜き方)

前回の記事で、霊的成長には「師匠」、つまり霊的教師が必要だという話をしましたが、肝心のホーキンズ博士も2012年にこの世を卒業しています。

 

現在存命の霊的教師からどのような人を選べばよいのかという話ですが、これもホーキンズ博士はヒントを残しています。

 

そのヒントとは、簡単に言えば、かつては敬虔な霊的探求者で意識レベルも高かった人物が、何かの拍子に生徒からの崇拝を受けるようになったり称賛を浴びたり多額のお布施が入ってきたりすることをきっかけにして、霊的教師の「霊的に未浄化の部分」をめがけてエゴが攻撃してくるのだといいます。

霊的に未浄化の部分とは、承認欲求であるとか、依存、罪悪感、怒り、欲望、奢り、支配欲などという、このブログでも再三取り上げたネガティブな部分です。

お金や性に関する欲望の部分も同様です。(この2つは生存に直結しているため、人間の内側に居座り続ける、とも言われております)

たとえば自分が世間的に成功してちやほやされて、挙げ句の果てに何かの拍子に叩き落された→もう他人様からのちやほやなんてうんざりだ…という経験がなければ、身にあまる称賛や崇拝を受けた時、人間は誰でもクラっとくるでしょう。

 

ちなみに筆者がひと様から称賛を受けても受け流すのは、もう「食い飽きた」からです。

だから承認欲求など手放しているのです。

じゃあ、貶せば、自分になびくのだろうか…? と試す方が時々いらっしゃいますが、筆者は幼少の頃から他人に冷たくあしらわれ貶されることも散々経験し、なおかつその手と関わることは霊的な後退につながるということも学びましたので、即座にシャットアウト、泣いても謝っても二度と受け入れないことにしております。

人間として、他人を「自分の意のままにしよう」などと考えること自体が、間違っているのだということを教えるために、です。霊的にレベルの高い人物は、そもそもそんなことをしなくても大丈夫だし、自分のことも他人のことも尊重できる状態であるのです。他人を自分の意のままにしたいと考えること自体、本人が自分に自信がなく、霊的に間違った方法で他人を操らなければやっていけない状態なのです。

かつては言葉で「そんなことやっちゃダメですよ」教えていましたが、今は「出したものが戻ってくる」の原則を邪魔しないようにする、という趣旨から、現在ではそのようにしております。

いわゆるモラハラ、DVなどというのは、霊的成長に真っ向から逆行している行為なのです。

 

 

なので、お布施(名称を問わず、そこに支払うべき1回分の料金)が被請求者の立場から見て異様に高額であるとか、あるいは教え子(弟子)に手を出すような輩はもはや霊的教師でもなんでもない、ただの獣だと言ってもいいかもしれません。

 

本日の参考文献はこちら。

 

I: Reality and Subjectivity (English Edition)

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<わたし> ―真実と主観性(覚醒ブックス)

<わたし> ―真実と主観性(覚醒ブックス)

 

 

 

Truth vs. Falsehood: How to Tell the Difference (English Edition)

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