ブログLSOスピンオフ 人生に役立つスピリチュアル特集

スピリチュアルの技術を駆使して人生を改善してきた著者が、その理論と技術を公開。

自分の子供にネガティブな感情を感じるとき

児童虐待とその結果子供が死亡するというニュースは後を絶ちませんが、暴力をふるうときの親の感情は様々なものがあると思われます。

もっとも筆者は、どちらかというと「虐待される側」(肉体的だけでなく精神的に)であり、死なないでここまでこれたという程度だと思っておりますので、そんな親の感情など忖度する気もありませんが。

 

むしろ、感情を処理すべきは、親である本人そのものです。

他人が気を利かせて感情に対して先回りする必要などないのです。

 

ホーキンズ博士は、著書「Letting Go」の中で、「子供と接するときに両親がネガティブな感情を感じるときはどうすればよいか」という問に対してこう答えています。

 

子供の行動に対する許容の差は、文化的背景、性別、年齢、道徳観によって異なる。3歳児に対してなら許容されていた言動でも小学3年生に対しては許容しかねるものが多い。

としたうえで、

 

「両親は、自分の子供への【期待】を放棄しなければならないのは当たり前だ」

 

と一刀両断しています。

 

そう、子供といえども自分自身ではないため、期待=「こういう人物になってほしい」というプレッシャーをかけてはいけないのです。

 

さらに博士はこう続けています。

 

「期待というものは、他者にとっては微妙なプレッシャーであるため、プレッシャーをかけられた側は無意識に抵抗する。

 子育てにおいては、期待と個人的な好みを放棄すべきである

 

ということです。

 

また、別の問題もあります。

他の問題として、過干渉(過保護)がある。時折、子供を愛するということを、子供をすべての困難から遠ざけ面倒を見てしまうことと混同してしまう親がいる。一定の年齢になったら、愛というのは「丈夫な愛」、つまり子供本人がしでかしたゴタゴタの解決方法は本人に見つけさせ、それにより本人が己の内側の源を発見できる機会を持つようにするためのものを意味する。

 

実は筆者はこの箇所を読んで非常に気が楽になったといいますか、簡単に言えばモラハラな両親の言動に苦しみ、そしてなおかつ「子供なのだから親のいうことを聞かなければならない」という信念体系にも苦しんでいたのが、「期待と個人的な好みを押し付けられているから反発を感じているのだ」ということが理解でき、そうあっても大丈夫なのだと思えるようになりました。

 

必要以上に面倒を見たがるのは、相手のためではなく、自分のことを認めてほしい=承認欲求 が表に出ただけの話だったりします。

承認欲求は、それ自体がネガティブの部類に入りますので。

 

本日の参考文献はこちら。

 

Letting Go: The Pathway of Surrender

Letting Go: The Pathway of Surrender