ブログLSOスピンオフ 人生に役立つスピリチュアル特集

スピリチュアルの技術を駆使して人生を改善してきた著者が、その理論と技術を公開。

間違った祈り方

前回記事とも関連するのですが、たとえば、愛する人が事故で亡くなったとき、

「あの人とどうかもう一度会わせてください」

と祈るのは祈り方として間違っているよ、とホーキンズ博士は話しています。

 

記事を引用します。

 

To be effective, one pays little attention to the mind because the mind really has no solution to the problem. The mind says, “If only we could change those external circumstances.” This is where people’s experiences with prayer often come in. Not knowing what to pray for, they may come out of it with bitterness because they were praying in the wrong direction. Very often the prayer goes in the direction of “Please undo that, please bring joy back to life. Please bring my thumb back; please change what is happening out there.” Prayer in that direction is very likely to be ineffective because the form of the prayer is like, “Dear God, please let me be one foot taller.” Is the problem God’s, or is the problem the lack of comprehension about how to pray?

これ(サレンダーのテクニック)を効果的なものにするためにはマインドへの注意を基本的に払わないことが重要である。マインドにはその問題を処理する能力がないためである。マインドは「この外部環境が変わってくれればなあ」とつぶやく。これが、人々の経験のうちに「祈り」が持ち込まれるゆえんである。祈りの方法を知らないと間違ったやり方で祈ってしまうため痛々しいことになる。よくやりがちな間違った祈りというのが、「(起きてしまった事故等の事実を)取り消してください、事故等が起きる前に時間を戻してください」「ちょん切れてしまった親指を元に戻してください…その時起きたことを変えてください」といった方向である。このようなやり方の祈りはまずうまくいかないものと思っていい。これは、いわば「神様、私を1フィート背を高くしてくださいませ♪」と言っているようなものである。これは神の問題というべきか、それとも祈り方の理解がなってないのか?

At this point, the prayer might be, “Please be with me; show me how to surrender and handle this experience,” and ask for conscious awareness of the Presence of God. We would be asking God to take on the experiencing in place of ourself. Curiously, as we keep surrendering the experiencing to the experience, as we let go of resisting and labeling it, we are progressively surrendering it.

この時点でやるべき祈りとはこういうものだ。「神よ、私とともにいてください。そしてこの経験をどのようにしてサレンダーすればよいか、どう扱えばよいか指し示してください」。そして神の臨在による意識的気づき(要はひらめきのこと)を求めるのである。神に、自分が今経験しているものを持って行ってくれるよう頼むのである。不思議なことに、こうして経験をサレンダーし続けるほど、我々が(経験に対し)抵抗しラベル付けをするのをやめるほど、我々は躍進的にサレンダーできるようになるのである。

 

  

ちなみに、ネガティブな出来事が起きた時のことを、前回記事では「逃げられない」とは書きましたが、「受け入れなければならない」わけではありません。

これはホーキンズ博士の著書「Healing and Recovery」にちゃんと記述されています。

たとえば、毎日学校でいじめられるという事実を「受け入れる」=「いじめられるのは仕方がないものとして甘受」していいわけではないのです。

出来事は出来事として、感情と切り離して処理すべきだということなのです。

その話は次の記事にて。

 

本記事の参考文献はこちら。

 

Healing and Recovery (English Edition)

Healing and Recovery (English Edition)