悲劇的状況の意味を知る必要はありません。
しかし、本質はどこにあるのか? については、ホーキンズ博士が著書の中ではっきりと記述しています。
引用します。
The essence of a catastrophic situation is total surrender to the discovery of that which is greater than the personal self. The experiencing through completely of a catastrophe brings us into a connection and a realization that there is something within ourself that has the power to sustain, no matter how catastrophic the experience appears to be. As a result, we come out on the other side of it as a greater person with the awareness that there is something within, that there is a Presence, a quality, or an aspect of life within that has the power to sustain us through the most seemingly impossible situations.
悲劇的状況の本質とは、個人的な(小さな)自己よりも偉大なる存在があることを発見しサレンダーすることにある。悲劇的経験を完全に経験することで、我々はどのような状況にあっても自分自身の中に存在する持続する力を持つ何かに気づきつながることができることに気づく。その災害がどれほどに悲しいことであるように見えたとしても、だ。その結果として、我々は、そしてそれは処理が不可能に見える状況において持続可能な力を持つ臨在・質・人生の方向性を有する内側の存在に気がついた者として、見方によっては偉大な人物として映るようになるのである。
ところで傲慢さのタグをつけていますが、傲慢さの本質とは「神なんか知ったこっちゃねえ、俺だって神と同等の力があるんだ(神の助けなんかなくたってやっていけるさ)」です。
実際にこうして強がる人も多いですね。ちょっとでもこういう気持ちがあるうちは、そして「いや、内心そんなことないよ」と言いつつ口でも強がっているうちは、偉大なる存在からの助けなど絶対に期待できないということです。
うん。確かに、「何もかも順調!」と調子に乗っているときほど、大事故とか大災害とかに巻き込まれる確率って上がるような気はしますね。

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