罪悪感というものは過去に関連する、という話を前回記事でいたしましたが、特に「くよくよしやすい」人は過去のことが突如記憶の底から出てきては罪悪感にとらわれてしまう…という経験があるのではないでしょうか。
スピリチュアル的に、過去の失敗というものがどういう意味を持つのかについて時折質問されることがありますが、総称するならば「そこから学びを得ることだ」というくらいしかないかもしれません。
逆に言えば、人間の歴史というものは学びに満ちています。
我々の本体である魂は無限の存在ですが、人間として地上にいるうちは人間ゆえの制限と欠陥を背負ってしまっています。
そして、人間が「考えていること」を生み出すと思われているのがいわゆる「マインド」ですが、人間のマインドには善悪の判断がつけられないというどうしようもない欠陥があります。
それを補うのが、各種科学だったりするわけです。
たとえば、毒キノコを食べたら死んでしまう。毒蛇にかまれたら死んでしまう。
そんな学習が人間の制限を補完し続けているわけです。
なので、過去の出来事について罪悪感を感じたら、「自分は無知だ」「当時はそれがベストだと、自分のマインドは判断せざるを得なかったんだ」と思うことで罪悪感は緩和される、というのがホーキンズ博士の教えなのです。
そうであっても非難は付いて回るかもしれません。
しかし制限だらけの人間に「完璧」はありませんし、その出来事で相手にとっても学びがあったりします。
罪悪感、そして今後紹介予定の「後悔」に対する特効薬は、謙虚さと受容です。
誰しも、いつまでもいつまでも過去のことを蒸し返されたら、いくら反省して「今はそんなことをしないくらいに改善している」状態でも嫌になってきます。
ただしこのとき、「自分はまだ自分の過去の失敗を許せてないのかもしれない」と自問自答したほうがいいです。
相手は鏡、だからです。
もし、何か過去のことで悩んでいて、「二度とあんな失敗はしたくない」と思っているなら、「当時の自分にとってはあれがベスト、という程度でしかないほど自分は無知だったんだ」ということを静かに受け入れてみてください。
まあ、無知なんだから、当時はしょうがないよね。でも同じことをやらないようにしようね。的な感じです。
このあたりも、エネルギーフィールドを高いところに自分を置くことで劇的に改善できるものと思われます。
もちろん、過去の失敗で誰かに損害を与えたならば、可能な範囲で物理的な賠償は行ってください。
霊的成長ステップの一つにも、「迷惑をかけた相手に対して可能な限り償いを行う」という内容のものがあります。
知らんぷりはネガティブなカルマをたくさん積む羽目になります。
意外と、「自分はなんでもできる、なんでも知っている」と思っている人ほど、ささいなことで失敗をしたときに罪悪感と後悔を感じ続けるものです。
「自分はなんでも知っている」という態度の意識レベルは175、傲慢の領域になります。
普段傲慢でいると(内心だけ、を含む)マインドの制限ゆえに過去の出来事で罪悪感を感じ続ける羽目になるような場面に遭遇しかねないため、傲慢さを捨てないとまずいよって話になるわけです。

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