ホーキンズ博士は、「霊的に謙虚であれ」と教えています。
逆に言うと、「わかった気になるな」ということでもあるかな、といえます。
霊的成長を目指すとなると本当にいろいろなトラブルがやってくることがあります。人生を学校に例えるならば、学校の先生から「お前は通常の勉強では物足りないようだからこれでもやってみろ」と超難関向けの問題集をやらされるようなものなのかもしれません。上には上がある、ということです。
かくいう筆者も霊的成長を目指してからもトラブルの連続です。気を緩めていると変な輩がわんさか寄ってくるし、一つ課題をクリアしたかと思えばまた別の課題が…、という状態です。
ホーキンズ博士の著書「Transcending the Levels of Consciousness」に、このようなことが書いてあります。
Shame, apathy, and guilt are all forms of aggression against the self by attack with self-hatred, accusation, and negative judgmentalism.The alternate sides of these mechanisms are used in the defensive maneuver of projected, externalized hate and blame.
恥や無関心や罪悪感というものは、これらすべてが自分自身を憎み、自分自身を告発し、自分自身をネガティブに断罪することによる自分自身に対する攻撃の形態である。これらの自分自身に対する攻撃システムが代替的にとる手段というのが、外部に対する憎しみの投影と(弱い自分自身を守るための)責任転嫁である。
Apathy is also a form of resistance to the maturation process and is a way of negation and refusal, i.e., concealed stubbornness.
無関心とはまた、成熟(霊的成長のこと)に対する抵抗の一種であり、否定と拒絶の方法であり、つまるところ隠された頑固さなのである。
要は、
自分を否定し憎む (大抵の人はこれを無意識のうちに行っています)
↓
その感情が自分自身に向く限り自分自身を弱らせる
逆に、その感情を外部に投影し、「俺は強いんだ! 偉いんだ!』ということを主張する、あるいはそれを証明しようとする
↓
自分の中で密かに押さえ込んでいる自己否定を正当化しないといけなくなる
↓
戦争、テロ、集団犯罪などが発生しやすくなる
(特に、自己否定を外部投影したがる輩が社会のリーダーになってしまうと戦争が起きやすくなる。簡単に言えばこういう方法でしか、自分のリーダーシップの素晴らしさを証明できないと密かに思っている)
ちなみにこの自己否定と正当化は、なんと「知性」によってさらに正当化されてしまうと博士は言っています。
頭がいいから…、東大出ているから…意識レベルが高くてその人の指導することは安全、ということではないのですよ。

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