人生に活かせるスピリチュアル~デヴィッド・ホーキンズ博士の教えから

スピリチュアルの技術を駆使して人生を改善してきた著者が、その理論と技術を公開。

神は罰を与える存在ではない、が…

神さま についてのご質問をいただくことが時折あります。

 

神さまは、悪いことをした人間に罰を与えるのではないですか? というご質問もあります。

これは、結論からいうと、ノーです。

 

神が、悪いことをした人間に罰を与えるのであれば、今頃警察も裁判所も必要なくなっているはずなのですが…

しかし現実として、筆者のオフィス近くには仙台高等裁判所がありますが、連日フル稼働みたいです。

マスコミが入り口に大勢集まっているときもあるし、行進やら集会やらもしょっちゅうです。

 

その辺、神なるものは基本的に放任主義

だから、自分で自分のことを責任を持って幸せにするよう、霊的成長するよう努力工夫する必要がある。

筆者は、そのように解釈しています。

 

しかしですが、もう一つ、日本でも時折言われることの中で、

「悪いことをすれば回り回って自分に跳ね返ってくる」

(別のことわざで言えば、「情けは人の為ならず」)

というものがあります。

 

これは、その通りです。

「出したものが戻ってくる」という法則があります。

 

これはホーキンズ博士の著書「わたし 真実と主観性」にも説明があります。

自分が愛されてないと感じるのは、自分が愛してないからです。

自分が寂しいと感じるのは、自分が他人に対して親切にしていないからです。

自分が孤独だ、不幸だと感じるのも同様です。

 

ちょっときつい言い方ではありますが、今ここで、自分のあり方を考えるときがきているのではないか? と思うことも必要かもしれません。 

 

言ってみれば、神はこうした真実の法則を忠実に実行する存在だということです。

 

出したもの、というのは、行動ではなく自分の心持ち、マインドと感情という意味です。

たとえば、慈善団体への寄付は一般的には良い行いだと言われていますが、たとえば募金活動をしている女子高生が可愛くて立ち話してみたいからという理由で小銭を募金箱に放り込んでも、霊的成長には寄与しないし、その後たいして「いいこと」があるとも考えられません。

まあ、当の本人にとって、「女子高生と立ち話ができた」ことがいいことだっていうなら、それは確かに効果があるということにはなるのかもしれません。(笑)

そういう下世話な動機からではなく、もっと慈悲的な視点(=このブログでいう意識レベル500以上)からことを行う必要があるんだということです。

 

なお、自分の心持ちがネガティブな状態で、周囲の人間に対し攻撃的な態度を暗に取るような輩が先日ご紹介したパワスポ化をやっても、逆に悪いことが発生しまくることだってあります。

 

興味がある方は和訳本を読んでみてください。結構耳の痛いことが書いてあって途中で読むのをやめてしまう方も多いみたいですが。

 

<わたし> ―真実と主観性(覚醒ブックス)

<わたし> ―真実と主観性(覚醒ブックス)