具体的な「恐怖対策」、たとえば家や車に常時施錠するといったことを一切やめろというわけではないのですが、少しでも恐怖を感じた場合、大抵の方は抵抗という手段に出ると思われます。
わかりやすい例でいうと…、職場に、新しい社員が中途採用でやってきたが、どうもこの人はヘッドハンティングされたらしく、超絶に仕事もできるし、気配りも超一流だし、着こなしもきちんとしていて早速職場の人気者…というか、年齢も自分とほぼ同じらしいけど、このままじゃ出世で先を越されてしまう!
そんな恐怖を感じたとき、大抵の方は、「なんとかしてあいつの足を引っ張って、目立たないようにしておけないか」とか、そこまでいかなくても「あいつ、ちょっとは失敗してくれりゃ、安心するのに」とか思うのではないでしょうか。
これが、恐怖に対する抵抗です。
博士は、これをやればやるほど、抵抗が「個人的なもの」になると話しています。
どういうことか?
ますますその恐怖の渦に、自分自身が飲み込まれるよ ということです。
実体のない恐怖が自分自身をすり減らし、追い詰め、パワーを失わせて、意識レベル二桁台の感情に追い込んでしまうという原則を思い起こせば、上記のような願いを抱くこと自体が自ら破滅を招いているようなものだとおわかりいただけるかと思います。
というより、これは他人の努力の賜物でもありますから、他人が失敗するかとかいうよりも自分は自分なりに自分を磨いて自分で自分に向き合えばいいだけの話です。
筆者も、昔、FBで高校時代の同級生に時折相談を受けて真面目に答えていた時期があり、たまたま、筆者があることでうまくいかなかったときにも連続してFBメッセンジャー機能でメッセージをもらっていたので「実はこういうことがあってね(今君の話を聞いている場合じゃないんだよ)」と返信したところ、「なんかいつも完璧なイメージがあったから、そういう話をきけてうれしいよ」という返事が戻ってきたのです。
おそらくこれが、大多数一般人の感情というものでしょう。はたから見れば非常に失礼なものですが。
筆者はこの同級生のことはもともと高校時代も仲が良かったわけでもありませんでしたし、友人という感覚もありませんでしたから、この後絶縁するに至りましたが。
意識レベルが低いと、自分が憧れている・尊敬している人に依存しておきながら、嫉妬したり、それ以外にも各種ネガティブな感情を抱くために、結果的に同種の意識レベルに位置する人間関係しか残らなくなるのです。
それにしても最後の最後まで失礼な輩でしたね。
話を戻して、恐怖の何がそうさせるかというと、博士いわく、「恐怖はそれ自体が不快な生理的・感情的・経験的反応であるため、人は恐怖それ自体を恐れている」とのことです。
だから結局のところ、恐怖は早めに処理して手放すしかなさそうです。

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