このブログで何度かご紹介させていただいていることの中に、
「人間はオーラ同士影響し合う」
というものがあります。
人混みにいくと疲れる!! という方、それ、道行く人のオーラの影響を受けているからかもしれませんよ。
というかまず間違いなくそれです。
筆者も仙台の街中を歩いていると、アーケードの中をブツブツ独り言を言いながら歩く人とか、突如怒りながら歩いている人とかも時折見かけたりします。
そういう人と市営バスの中でかち合うことも時折ですが、あります。
そういうときは、刺激しないようそっとそこを離れるようにしています。
で、街中でかち合うだけならそっと離れればいいのですが、職場だとそうもいきませんね。
家庭の中であればなおさらです。
それでも、自分の霊的成長のためには、自分が(そのときは)折れてでもその場を離れた方が無難なときがあります。
ここで、「仲良くしなきゃ」などというのは論外ですし、ましてや「相手の性格が変わるよう働きかけなきゃ」と行動するのも霊的な観点から言えば間違っているやり方です。
変えたいと思うのなら、先に自分の中にあるネガティブなものを引っ張り出さなければなりません。
つい口をついて出た言葉とか、つい思ってしまったこととか。
ですが、そのネガティブ性も、一緒にいる人によって新たに植えつけられたものである可能性も否定できないのです。
そうすると、自分がいくら手放しを行っても、その元となるものを断ち切らない限り、無限に
ミカンの箱の中に腐ったミカンがあったら、それを先に取り除きますね。
そうしないと他のミカンも次々腐るからです。
これは、筆者がいくら働きかけてもそのネガティブ性を手放そうとせず、正当化しつづけた筆者の母親との関係から言えることです。
本人がそのネガティブ性と、それは正当化できるものではないということ、そして一刻も早く手放さない限り「腐ったミカン」状態のままなのです。
腐ったミカンと一緒にいたら、自分まで腐ります。
そうすると霊的成長ができなくなった人が一人増えるということで、変な言い方ではありますが、自分を霊的成長のために地球に送り出してくれた神を裏切ったも同然ということになります。
ネガティブ性の代表の一つに、「嫉妬」があります。
他には「強欲(先日まで特集していた「欲望」です)」「怒り」「傲慢さ(自分の考えこそが絶対的に正しくあとは間違っていると他者を見下す姿勢)」もあります。
このブログでネガティブな分野もたっぷりと扱うのは、「それに該当するものが自分の中にあったら即取り除き、他人にそういう傾向が見られるなら距離を置け」というメッセージも含んでいます。
くれぐれも、ネガティブ性を持つ他人に、直接働きかけてその性格を変えてもらおうとは考えないことです。
労力がどうとかいうより、その方法自体が霊的な観点からして間違っているためです。
修正済みの意識のマップを参考までに再掲します。