スピリチュアルを勉強するときに避けて通れないのが「懐疑論」の罠でして、誰かにスピリチュアルについて話したときに「頭おかしいんじゃねーの」「だったらそれを今ここで証明してみろよ」などと混ぜっ返された経験が一度や二度はあるのではないでしょうか。
結論から言えばそういう輩とムキになって議論してはダメなのですが、そもそも、懐疑論の意識レベルは160であり、霊的真実とは離れています。
これが傲慢さとどう関係するかというと、傲慢さの意識レベル中にも、懐疑論はしっかりと活きてしまうからなのです。
傲慢さのレベルは特に、持論を押し通したい欲求が強くなります。
そして、競争・マウンティングという性質が付いて回ります。
つまり、「自分の意見が正しくて、他人の意見は(自分と違っていたら)皆間違っているのだ」という立ち位置が、この傲慢さの特徴となります。
加えて、傲慢さのレベルは、抽象的なものを理解する能力を排除するという特徴があります。
スピリチュアルは非線形と言って、それこそ抽象的な概念を理解できないと「マインドでわかったつもりになっているだけ」で終わってしまう世界です。
だからふわふわ系がはやりやすいという問題点も持ち合わせているのですが…。
冒頭で、「懐疑論は霊的真実からかけ離れている」という話をしましたが、その性質ゆえ、懐疑論者は、懐疑論を信用しようとしてもできないというロジックがあります。
本人のベースが「懐疑論」という、何でもかんでも疑うというところからきているためです(笑)
懐疑論を証明しようとするならば、批判されている主体(批判対象)を理解しなければならないが、上記の通り、抽象的なものを理解できないレベルにある(脳生理学的にそういうふうにできてしまっている)ため、結局前提を欠いてしまい目的を果たせない、ということになります。
こうしたエネルギーフィールドを背後に持つ人間をリーダーなんかにしてしまったら大変なことになる…ということはおわかりいただけたかとは思いますが、それでもそういう人物をリーダーについ選んでしまうのが人間の怖いところでもあります。
そして、ホーキンズ博士曰く、意識レベル200未満のリーダーを据えてしまったことによる結果について、「虚偽の結果は、虚偽が明らかになるまで何十年も何百年もの苦しみを要することがある」としています。
今すぐに国家レベルでは無理でも、個人レベルで「見る目を養う」ことは非常に大事だという話でもあります。
人間のマインドには物事の本質を見抜く力がないため、悲劇が歴史的に繰り返されることになります。
本日の参考文献はこちら。

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