ブログLSOスピンオフ 人生に役立つスピリチュアル特集

スピリチュアルの技術を駆使して人生を改善してきた著者が、その理論と技術を公開。

意識レベルについて:「勇気」 その6 エゴにとっての恥が恥じゃなくなるとき

最近、某大臣に任命されたある方の発言が何かと取り沙汰されるようになりました。

もともと注目されている方ですから致し方ないのですが、気になるのは、「知らないこと」を「知らない」とハッキリ言えない、というより、知らないということを認めたくないのではないかという点です。

今までの活動の経歴もあるため、知識不足、勉強不足であることを認めたら自分の価値が下がると思い込んでいるのかもしれません。(政治家一家の4代目ですから政治のセンスはあるのはわかりますが)

しかしいかに政治家でも世襲でも、世界は刻々と変化し続けます。変わらないものがない以上、わからないことも出てくるのが当たり前なのです。

しかし自分は知らないことを面と向かって認めようとせず、その場限りの適当な言葉でごまかし煙に巻こうとする姿勢がだんだん見え始めています。

 

これこそが、「傲慢さ」以下のレベルの大きな特徴です。

これは政治家のみならず、人間全体に言えることですが、大きなマイナスとなります。

 

まあ、知っていてスパッと答えられればカッコイイし他人からも尊敬の眼差しで見られますから、気持ちはわからないでもないんですがね。

しかし「知ったかぶり」が後々他者からの執拗な攻撃を誘発することも忘れてはなりません。

 

これと勇気のレベルとどういう関係があるのかと思われそうですが、勇気 以上のレベルに上がれば、このような場面で「知らない」ことを個人的な屈辱とはみなさなくなるのです。

知らない、だから「知りません」と正直に言うだけの話です。

だから、知らないことを「恥ずかしながら存じ上げなかったのですが簡単に教えていただけますか」と一言言ってしまえば済む話です。

少しは馬鹿にされるかもしれませんが、それも、自分の中では「知らなかったからそう言われても致し方ない、次は気をつけよう」という程度で処理できますし、謙虚に申し出ることによって「じゃあ教えてあげる」と、快く応じてくれる人も現れます。

 

また、仮に「へー、そんなことも知らないの」と言われても、「うん、知らんものは知らん」と正直さを貫けば、相手はそれ以上自分を攻撃してはきません。

 

勇気 以上のレベルにあがると、これまでのネガティブな感情に対し非常に嫌悪感を抱くようになり、議論して相手を打ち負かそうとか争いを起こそうとかいう気持ちにならなくなります。

 

謙虚さって、具体的に言えば、そんな感じだと思っていいかもしれません。

 

本日の参考文献はこちら。

 

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)