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意識レベルについて:「中立」その4 無関心と無執着の大きな違い

本題に入る前にですが、このブログが50,000アクセスに到達いたしました。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

お約束通り、先日アンケートにご協力いただいた方に対し、土曜日の夕方以降に特製レポートを送信いたします。

 

それでは本題です。

中立のレベルの大きな特徴は、「何者にも属さない」です。

もちろん、物事に執着することもありません。

これは、世間一般な視点からすると、無関心とかやる気がないとかいうように見えることがあります。

 

ホーキンズ博士はこの点に関して、「無執着」と「無関心」の違いという視点から説明しています。

無関心というのは、自分自身の中にある、執着に対する恐怖への防御が形になって現れたものです。

執着してしまうのが怖いから、最初から見ない。

これには「拒絶」という性質も含まれています。拒絶も執着もネガティブの領域ですから、「ネガティブはネガティブ同士引き合う」の性質により、ここがきっかけとなってさらに低レベルの感情に引きずり込まれていきます。

やがては、倦怠、活力の喪失へとつながっていきます。

 このとき、自分の中が「空」になった気がするため、スピリチュアルを勉強している最中にこの状態に陥ると「おっ!自分、ついに悟ったか!?」と勘違いしてしまうのですが、実はそうではなく、単なる虚無感しかないだけという状態だったりします。

この状態を長く放置すると非常に危険です。(経験者は語る)

 

悟りとは、神の愛が存在する状態でなければ実現はできません。そのことは念頭に置く必要があります。

スピリチュアリストは「悟り」にどうしても憧れる傾向があるようですが(笑)ホーキンズ博士によれば、悟りは、無執着の姿勢によりその状態へ導かれるとのことです。何かを拒否=否定することは、裏を返せばその対象物に「執着している」ことになります。そして自分の意識レベルも下がります。

 

無執着というのはエゴが好むジャッジメントとかネガティブな感情(エゴにとってこれは大好物、これを「秘密の報酬」と呼んでいます)とかに関わろうとする意欲がなくなっていく状態です。エゴの生み出すものに興味関心がなくなっていき、その分、自由になります。

その結果、人生は遊びにも似たものになっていき、好きとか嫌いとかはさておき人生を楽しむことができるようになっていきます。

 

本日の参考文献はこちら。

 

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)

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