ブログLSOスピンオフ 人生に役立つスピリチュアル特集

スピリチュアルの技術を駆使して人生を改善してきた著者が、その理論と技術を公開。

意識レベルについて:「受容」 その5 このレベルに上がるには…

意識レベルが上がると何がいいのか? の話にもなるのですが、特に意識レベル350に上がると価値判断と思い込みがなくなり、「良いもの・悪いもの」といった二元論や紛争や闘争といったものとも(心の中が)無縁になるため、その心の中が現実世界に現れるようになります。

 

このレベルにあがるために必要なものは、ホーキンズ博士いわく、「意志」です。

先週来ご紹介していた、あの意識レベル310の「意志」です。

人間の信念体系を踏襲することからの自由を選択する意志、許しの原則を適用する意志があるかどうかがこのレベルにあがる鍵が、「意志」、つまり「もっと自分の意識を向上させたい」と自ら決断することが意識レベル向上の鍵だということです。

超例外を除いては、「ただ口を開けて待っている」だけでは何も起きないということです。

 

意識レベル350の領域にあっては、許しを適用することにより、調和と幸せが可能になります。

これは、内面的な部分だけでなく、対人的、社会的にも言えることです。

 

意識レベル350の領域に「上がろうと」するとき、世界に散見される(というか昨今ではかなり多いなあという気がしますが…)「誤り」に対して懲罰を加えようとする姿勢を改める必要があります。

その理由は、それ自体が善悪二元論に基づいているためです。

今、悪だと決め付けているものも、時代が変わるとまた新たな資料や背景が見つかるなどして、解釈が変わる可能性がありますよ。

そうではなく、訂正・寛容・思いやりが必要なところなのだなあとみなす必要があるのだということです。

 

これを聞いて抵抗を感じた方は、その抵抗の正体がエゴなのだということを申し添えておきます。

エゴは、判断が大好き、善悪二元論が大好き、道徳の名の下に自分が神にでもなったかのように審判を下すのが大好きです。

もちろん、相手の福祉なんて考えもしませんし、その短絡的な判断がもとで長期的に見たら自分まで損をするなんてことは一切考えません。

それがエゴというものです。

 

それに対し、受容のレベルにあがると、バランス・平穏さを失うことなく、人間性の限界を受け入れることができるようになります。

 

もっと言えば、人生の多様な表現、進化の多様な表現は、神の意志です。

なので、人間ごときが「その生き方はけしからん云々」と言えた義理ではないのです。

田舎の居酒屋だと、一人飲みする女性に対して「こんなところに来てないでさっさと結婚して子供を産め」と説教する酔っ払い爺さんが出没するとかしないとか…(偏見で言うのではなく、そういう実話がネットニュースに複数紹介されていたのをご紹介しているまでです)

これは極端にしても、「こうでなければならない」とハナから押さえつけるという行為は、実はエゴに振り回されている証拠であり、霊的な観点からすると正しいとはいえないということになります。

 

話がくどいかもしれませんが、受容のレベルにおいては、他者を判断・制御・変更・支配しようという気がなくなり、それゆえ、他者を傷つける要素がなくなります。

その姿勢から、逆に、他者の意見や価値観からも自由になれます。

また、意識レベル200未満の状態によくありがちな承認欲求、「自分を認めて、もっと見てよ」の姿勢も、意識レベル350の状態になると無くなっていきます。

まさに、自由のレベルです。

 

昨今のスピリチュアルでよくいう、自分を大事にする とか、他人の意見に惑わされない とかいう姿勢のレベルは、ここに該当します。

とはいえ、巷ではこのことを結構誤解して運用している人が多いかなという気もしています。

ここまで分解して理解して初めて、安全な運用が可能ではないかと思われます。

 

なので、日本では超マイナーな霊的教師ではありますが、筆者はホーキンズ博士推しなのです。

 

本日の参考文献はこちら。

 

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)