このレベルを超越するなんて、しなくてよいのでは…と、物質世界に慣れ親しんでいる人からは言われそうな気もしますが、スピリチュアリストとしてはここが踏ん張りどきです。
知性の大きな欠点とは、物質世界、これを博士の言葉でいうと「線形領域」という話になるのですが、意識レベル499までがおおよそこの線形領域だと言われています。
つまり、意識レベル400台の「理由・知性」も、意識レベルが高いと言いつつも、結局は物質世界の価値観や感情の領域を脱出できていないのだということです。
これは油断をすればすぐにでもエゴ的な悩みや苦しみの犠牲になりかねないということも意味します。
ましてやこの領域は「頭で考える」のが得意な領域ですから、物質世界上にある前例や価値観や常識では答えが出せない問題を突きつけられたとき、ただ右往左往するだけということも考えられます。
前置きが長くなりましたが本題に戻ります。
理由・知性のレベルにおいては、物事が起きるのは因果関係があるからだ…と考えがちなのですが、実は物事が起きる発生源は「非線形領域」と呼ばれており、言ってみれば「何が起きるかわからない」のです。
たとえばこうしてブログを書いている最中にも、大地震がやってきて、筆者が住んでいるマンションが倒壊してしまうかもしれないのです。
このことを無視して、因果律の考え方に支配されている限り、そこから愛の領域にジャンプすることは不可能だということです。
たとえば、勇気から中立へ、中立から意志へという段階なら、比較的飛躍もわかりやすくて簡単だったのですが、知性から愛への飛躍というのはこれまでの常識をすべて捨てるくらいでないと、いや、それでもなお跳躍できないかもしれないのです。
それくらい、エゴが生み出す幻想と線形領域にはびこる信念体系を取り消すのは、並大抵ではないということです。
理由・知性の領域の次は、意識レベル500の「愛」です。
ここに到達するには、それまでの常識を全部入れ替えてしまうくらいの覚悟が必要とされます。
そのために必要なものとして、博士は以下のワークを挙げています。
- 各種霊的訓練
- 瞑想
- 熟考・内観
- 献身
- 祈り
- 信じること
これを聞いただけでのけぞる方は、ここから先の「跳躍」は無理です。
(意識レベル400台も日常生活上生きていくには十分ですからそこに止まるのも一つ野方法でしょう)
要は、「私は霊的真実に献身するのだ」という強い決意+実践がなければ、愛の領域にあがることはできないということです。
ちなみに、「愛」というと恋愛とか「ロマンス」を想像するかと思いますが、この手の意識レベルは500以上になることはありません。
なぜならば、エゴ的欲望が必ず絡むからです。「自分以外の異性に振り向かないでほしい」「なんとかして”落とし”たい」など、相手の尊厳を一向に考慮しない考え方すら存在します。
そういうものと意識レベル500の愛を絶対に混同してはいけません。
まるっきりの別物だからです。
本日の参考文献はこちら。

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)
- 作者: David R. Hawkins
- 出版社/メーカー: Veritas
- 発売日: 2013/08/01
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る