ブログLSOスピンオフ 人生に役立つスピリチュアル特集

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意識レベルについて:「愛」その5 偽物(笑)の愛

ホーキンズ博士がいう「愛」、また意識のマップ上にある「愛」から上が真実の愛になります。

もう一度、意識のマップをご覧いただきます。

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それで、「愛って、性質は一つなんじゃないのか…?」と思う方も多いかもしれません。

これは、内容が信頼できるスピリチュアルを学んでいる方ならすぐおわかりかと思いますが、愛と称した偽物の感情が人間社会にはあまりにも多すぎるのです。

 

低い意識レベル(200未満)においては、愛として感知されるものは「条件付き」になります。興味があるから愛する。興味がなくなったから愛さない。手に入れたいから愛する。手に入れたら興味なくなっちゃった。これは愛ではなく、単なる所有欲(=意識レベル125)です。

これは、所持品(ブランド物など)に限らず、物事への情熱や恋愛にも該当します。

どうでしょう、「うっ!!そういえば…」と思われた節はありませんか?

 

特定の人のことを「好きだけど、(想い続けていると)苦しい」というのも、愛ではありません。

愛は苦しめるなんて要素は一切存在しません。それどころか癒しの力がありますから、好きな人と一緒にいて苦しい、疲れるっていうなら、そこに真実の愛はないといっても過言ではありません。

これは恋愛に限らず家族その他人間関係にも当然当てはまります。親は子を「愛している」と口ではいうものの、子と言えども別人格であることが理解できない、子供の気持ちも理解しようとしない・できない親は相当数存在しています。子供は親の分身でも子分でもありません。そして親は自分の価値観を子供に押し付け、あるいは子供が嫌がっているのに愛情表現と称して親のエゴに満ちた感情をことあるごとに子供にぶつけ、そのことで子供はつぶれていく、という例は日本だけでも枚挙にいとまがありません。

これもネガティブ性の特徴であり、愛に名を借りた感情でしかありません。

子を愛せない親はいない、と言いますが、愛の定義をきっちり厳格に見ていくと、「子に一切の興味関心を持たない親はいないかもしれないが愛せない親は相当数存在する」かもしれません。

 

逆に言えば、誰かに気持ちを向けられるのが辛い、苦しい、という場合、その「気持ち」が一見好意に見えるものであっても実態を紐解けば執着心でしかないのです。

マインドはポジティブ性・ネガティブ性の区別がつきませんが、魂=意識にはそれがはっきりとわかります。

ここは、相手に忖度せず、自分の魂のいうことをよく聞いたほうがいいかもしれません。

 

そして、こういう、愛に見せかけた意識レベル200未満の感情は、以前「Letting Go」関連の記事でご紹介しましたが、喪失の恐怖も伴うのです。

欲しい物が手に入らないという恐怖とか、好きな人が手に入らないという恐怖とか。

その恐怖は霊的成長にとっては「妨害」です。そしてこの恐怖が、怒りや嫉妬、ひいては自殺や殺人といった深刻な事態に発展していきます。

 

愛に狂う、という表現がありますが、これは真実の愛ではなく関わったらヤバイやつだと認識しておくのがよさそうです。

 

本日の参考文献はこちら。

 

Transcending the Levels of Consciousness (English Edition)

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