さて、2020年になってすでに2か月が経過しました。
このまま「あぁ、年末になってしまった」というようになるのかもしれません。
博士は、「過去でも未来でもなく、現在のこの瞬間瞬間を、カミソリの刃の上を歩くようにして(つまり集中して)生きることが、霊的成長への道だ」という趣旨のことを話しています。
そのため、筆者は、その教えに基づいて、
「あれをやっておこう…といいつつ、時間等を理由にして引き延ばしにするのをやめる」(特に、興味があってやってみたいと寝ても覚めても考えるレベルのものについては)
ことを心がけています。
逆に、信念体系に基づいた「やらねばならない」(=問題ごとを抱えていても愚痴を吐くだけでマインドが前進できないクライアント等への対応だとか)は、「本当に私はこれをやるべきですか? そうではないのではありませんか?」的な感じで祈ることにしています。
すると、後日、「やっぱりやらなくてOK」という展開になるケースばかりです。
あとは、人がたくさん寄ってきます…
どこにいっても話しかけられるし(その傾向は昔からあったのですが)、たまたま外出したら臨時の閉店1時間前、しかも入店したタイミングで今買い占め云々で問題になっているティッシュの在庫がありったけ目の前に並べられた、なんていうこともあります。
今日も、昼食をいただいたら、不運の原因になったと思しき旧事務所の掃除に出かける予定です。
ところで、パワースポット化についての記事を何度かご紹介したことがありました。
そのことで補足させていただきます。
筆者の個人的な感想ですが、
「パワースポット化が効かない場所がある」(要は、それくらい強大なネガティブエネルギーを帯びた場所が存在する)
ということです。
さらに補足させていただくなら、その点を何とかして解決したい場合、「I: Reality and Subjectivity」や「The Eye of the I」、「Discovery of the Presence of GOD」など、意識レベルが850を超えている書籍を使うしかないものと筆者は考えております。
先日、「モニター募集」という話をさせていただきましたが、誰も手を挙げませんでした。
まあ興味がないとかいろいろ諸事情はおありとは思いますが、別にアメリカから送料数千円もかけて取り寄せてなんて言ってないし、このブログを見れるくらいならアマゾン、Google、楽天のどれかで電子書籍で購入&閲覧可能なはずなのに、そんなに博士の原書を買いたくないのか…とも思ってしまったくらいです。
なので、簡潔に、本来そこで教示するはずだった内容を上記に簡潔にご紹介しました。
最近では、筆者は、上記のような意識レベル850超(※意識レベル850以上 ではありません)の書籍しか読む気にならない、という状態です。
去年までは「Letting Go」とか「Healing and Recovery」とか「Transcending the Levels of Consciousness」とか、筆者はどちらかというと実務系の書籍から入っていったのですが、今では「復習するのは、あとででいいや」な心象です。
そして、これも筆者の個人的感想ですが、和訳である「パワーか、フォースか」及び「わたし 真実と主観性」の癒し力?は原書のそれの足元にも及びません。
(Google翻訳並みには翻訳できているので、両者を並べて訳を確認しつつ原書を読むという方法はありますが)
もっとも、あれを、悟りの領域に達していない人がさらに言語化するのは到底不可能だろうな…という気もしています。
だから筆者は「(英語がわからなくても効果はあるので)原書を読んでください」と呼び掛けているのです。
ここは、できるとかできないとか言い訳を並べるのではなく、もう、やるかやらないか、その意志決定でしょうね。
博士も、霊的成長にしても苦しみからの脱出にしても、「意志、意図が大事だ」と複数の書籍で言ってますので。
あと、「奇跡のコースが思ったより意識レベルが低くて、これは偽物なんじゃないのか」と不安になっている方がいたようなので一言。
博士曰く、「神の本質についてそもそも言語化しただけで意識レベルは15ほど下がる」としており、さらに、「エゴや信念体系について書かれた内容はそれだけ意識レベルが下がる(この場合、低次元アストラルからの影響を受けなくなる・エゴを完全に抹殺できるとされている意識レベル850以上となることはない、つまり意識レベル600とか700とか、霊的な書籍とはいえその程度となってしまう)とのことです。