Along the Path to Enlightenment の訳はあとで更新する予定です。
宮城県内も外出自粛要請が出たため、筆者は土日は家におります。
といっても、筆者にとっては「いつものこと」です。
土日は極力誰とも話さない、誰とも会わない。
よほどのことがない限り外食(カフェ活)もいかない。
そんな感じです。
※カフェ活:筆者は外食時に必ず博士の本(紙ベースかKindle版のいずれか)を持ち込んで、博士の教えを取り入れつつ食事をする ことにしており、この活動を勝手に「カフェ活」と呼んでいます。こうすることでお店から受ける低波動の影響を受けなくなり、良い調子を保っていられるようになりました。Along the Path to Enlightenment訳もカフェ活の最中に行うことが多く、自粛要請によってカフェ活をしなくなった今、訳も若干遅れ気味となっております…
そうすることで、内観・瞑想・祈りといった霊的ワークやホーキンズ博士の本を読んだり講義を聞いたりといったライフワークが大きく前進するのです。
そうすることで、平日に行うライスワーク…通常業務と言えばいいのか、それを通じて知り合う方々にも「光」を届けることができるのです。
リアルの筆者と話すことを「楽しみにしている」という方が最近特に増えてきているのですが、それは筆者の力ではなく、すべて博士のおかげです。
もっと広い意味で言えば、「神の思し召し」かもしれません。
だから、筆者としては、周囲の方々に対しては筆者に対してではなく「もっと博士に感謝してほしい」と思っていますし、土日に茶々を入れようとする輩に対しては「光を届ける準備を邪魔する者は誰であっても絶対に許さん」というくらいの気持ちです。
逆に、意外と、「誰かと会わなきゃ、会話しなきゃ」と思うほうが、霊的成長から遠ざかるかもしれませんよ。
「わたし 真実と主観性」にこのような記述があります。
Q: では、 言葉を使って意思伝達をするのは、エネルギーのいることなのですね。
A: そう です。 言葉を使ってのつきあいは骨が折れる ものです。 自然の 中で一人きりでいたり、 誰かと無言のまま過ごしたりするほうが好ましい のです。 すべてはあるがままで、何も説明する必要がありません。そこには何にでも知覚的に距離を置こうとする自我がいないからです。「Self」の感覚は、ego/selfに力を与えることで減少します。「Self」は静かで安らかですが、selfは騒がしいのです。 大切なことや意味を伝えるために、 冗漫になる必要はありません。
「わたし 真実と主観性」より ※英語は筆者が加筆
和訳本の内容そのままだとわかりにくいので一部英語に書き換えさせていただきました。
大文字で始まるSelfとは、いわゆるハイヤーセルフのことでもあり、我々はこの部分でつながっています。
それに対し、エゴのことを表すselfは、我々がそれぞれ「肉体が人間の本体」と思わせ、我々を本質的な部分で分断してしまうという性質があります。
今、「誰ともつながれない…」「一人で寂しい…」と不安になっているなら、残念ながら霊的ワーク&霊的な学びを一から見直す必要がありそうです。
その時点ですでにエゴに支配されて翻弄されているようなものだからです。
我々は、意識で一つ、魂で一つ です。
そして我々の本体は肉体ではありません。意識こそが我々の本体です。
ちなみに、見聞きして考えている部分はマインドであって意識ではありませんのでご注意を。
誰かとしゃべりたい! 誰ともつながれなくて怖い! という衝動に襲われたら、自分の「魂」に気持ちを向けてみてください。