今年に入って芸能人の自殺が相次いでいるほか、前年同期比でも自殺者の数が増えているということで、本当に悲しいとしか言いようがありません。
が…
スピリチュアリティを学んでいる身としては、やはり、この空気に同調すべきではないのです。
メジャーな宗教では、仏教でもキリスト教でも、自殺を「罪」(やってはいけないこと)として教えています。
ホーキンズ博士も、やはり、自殺を是とはしていません。
自殺をするとどうなってしまうのか、と言いますと、重大なネガティブカルマを背負うことになります。
要は運気負債をドカッと背負うことになるわけです。
そして、霊的真実においては、いわゆる自己破産のような、負債を減らす・あるいはチャラにする制度がありません。(「神に対し何もかもサレンダーする」ことを心から実践すれば話は別ですが、この状態になるとエゴが邪魔をしてサレンダーできないことが多いです)
そして、サレンダーなど、負債を返済するチャンスが、受肉中、つまりこの世に人間として生きている間しか存在しないのです。
つまり負債を返すチャンスはわずかしかなく、しかも今回を逃したら次はいつになるかわからないのです。負債を返す気がないのであれば、それはそれで本人の選択なのでいいのですが、結局、肉体を離れた後未来永劫苦しみ続けることになります。
人間の姿は仮の姿であり、「死はあり得ない」と博士も言っています。
ただでさえ、地球は、人口過剰な状態です。(これは博士の著書「I: Reality and Subjectivity」にはっきりと書かれています)
厳しいことを言えばさっさと人間卒業して次世代に地球を明け渡す、くらいでちょうどいいのかもしれません。
なお、日本においては、若者の死亡原因第一位が自殺とのことです。
他国では事故などが第一位にくるのですが、日本では事故や病気以上に若者の多くが自ら死を選んでいるというゆゆしき現実があります。
ただ、自ら死を選ぶ若者の心情もまるっきりわからないでもなく、筆者は「そんな死に方をしてしまったら運気負債を返せる自信がない」というだけの一心と、今年に入ってからは「死んだら博士の教えも学べなくなり、未来永劫後悔し続ける可能性が高い」という理由から生きているようなものです。
この記事を書いている時点で、筆者は、今年の本ブログテーマである「Along the Path to Enlightenment」をすべて訳し終えました。
このブログがつぶされない限りにおいてではありますが、少なくとも今年末までは記事が自動的に出てきます。
時折、一般常識的な視点から読むと「ハンマーで頭を殴られる」くらいの衝撃となる内容も散見されますが、それこそが、自分のモノの見方の変容と進化をもたらすのかもしれません。
これはさらに個人的な見解ですが、自殺してしまう大きな理由に、「自分の芯となる教えやマインドセットに出会えない」ことがあるのかもしれないとみています。
これは日本の構造がそうさせているのだろうと筆者はみていますが、たとえばある情報を自分なりに検証するのではなく、テレビや家族友人のいうことをうのみにしてしまうこと、つまり博士の言葉で言えば「意識レベルの低い情報によって」まんまと「プログラムされてしまう」ことが本人を惑わし続ける大きな原因だろうとみています。
知らない間に刷り込まれてしまった(かもしれない)プログラムはすべて解除するつもりでいないと、思わぬところで苦しむことになります。
しかしどんなプログラムが潜在意識下で動いているのかは、自分で見つけようとしても見つからないものです。プログラムを見つけてストップボタンを押せるのは「神の恩寵」なしにはできないことだと痛感する日々です。
プログラム解除が正常に働くことで初めて、「付き合うべき人・そうでない人」の区別がつくようになると言えます。だって、人間のマインドはもともと善悪の区別がつかないようにできているわけですから。そして、マインドのアホさを認識しておくことは謙虚さを保つことにもつながります。
そうしておかないと、地球上、つまり「世界」は人が生まれてきた目的から目をそらす誘惑に満ち溢れており、いったい何のために自分がここにいるのかがわからなくなってしまうのです。そう、「自分がここにいる目的」を認識できなくなることで自ら死を選んでしまうこともあるかもしれない、と筆者はみています。
そんな私見をつい書いてしまう筆者ですが、まずは自分自身が霊的真実を実践すべく、地道にやっております。