己の内側にある誠実性にコミットすることによって、エゴの反応の基盤となっているのがエゴ由来の快楽であるということが明らかになる。自己憐憫、怒り、憤怒、憎悪、傲慢さ、罪悪感、恐怖等々の報酬にはそれ自体に満足感がある。その快楽とは、病的に聞こえるかもしれないが、ネガティブな感情すべてにエネルギーを注ぎ伝播する。この影響を無くすには、この懐疑的な秘密の快楽を差し控えて進んで神に明け渡し、喜びや楽しみや幸せというものを神にのみ見出すことである。
エゴを消すには、この秘密の報酬ゲームを進んでやめなければならない。感情と、その立ち位置を正当化するために得たデータと物語をくどく繰り返すことによって扇動されるそのゲームを。人は、エゴがすべての過ちを搾り取り「正当な憤り」に耽る以上の喜びを見出すことができない。エゴは単にそのような大きな楽しみを提供してくれるおいしい立ち位置を「愛し」ている。
エゴの依存性と生存はネガティブ性に秘められた快楽に基づいており、それは認識、特定、そして罪悪感や恥を抜きにして所有されない限り放棄することはできない。人は、エゴというものが、すべての人が承継するものであり、どうやって(人を)操るのか、そしてエゴは個人的なものでは全くない(=要は、エゴの性質の出方は人それぞれではあるけど、大なり小なり自分と同じ問題点を抱えている人は世界中多いのだということ)ということに気が付く必要がある。
(書籍版「Dissolving the Ego, Realizing the Self」David R. Hawkins, M.D., Ph.D. 14~15頁)
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